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3月, 2025の投稿を表示しています

至福の道程

 自分の信仰についてきちんと話してなかったですね。 僕は仏教から信仰に入ったところまでは言ったと思いますが、今では仏と言ったそばから神と言ってしまい、慈悲といったそばから愛と言ってしまうので、自分でも困っているところです。 まずは今まで僕が通ってきた道を辿ると 仏教→キリスト教→イスラム教→ラーマクリシュナ となります。ラーマクリシュナにたどり着いたころには宗教の区別が僕には意味をなさなくなっていたので、最後が何教なのかもう僕にはよくわかりません。インドの聖者なのでヒンズー教ということになっているのでしょうか。 ただし、この僕が辿ってきた道は、改宗してきた道を示しているのではありません。改宗ではなく、無理に言葉を作るなら「増宗」です。次の宗教に行くときに、前の宗教を捨てたのではないのです。前にも述べたと思いますが、真の宗教と宗教が出会う時、お互いに共鳴しあい、深め合うのです。ですから、上の道は、本当は矢印(→)ではなく、 仏教+キリスト教+イスラム教+ラーマクリシュナ(ヒンズー教?) となります。 至福の道程です。 どうしたらみなさんにお伝えできるでしょうか。 自信はありませんが、少しずつ、少しずつ、試行錯誤を重ねながら、書けていけたらと思ってます。 愛と慈悲の導くままに

希望

 宗教は僕に何を与ええくれたのか 一言でいうと 「希望」 ですね。 宗教は人に何を与えられるのか 一言でいうと 「希望」 ですね。 僕はこれしか受け取ってませんが これさえあれば生きていけるし これがなければ生きていけない。

ユートピアの到来

 祈りのブログなのにお金の話からドツボにはまってしまい、いつまでたっても抜け出せませんが、そろそろまとめたいと思います。 僕が願う社会はすべての人に衣食住が保障され、ワークライフバランスが適切に保たれた格差のない社会です。格差のない社会とは「個性」という違いはあっても「優劣」や「上下」とか「勝ち負け」といった嫉妬を生み出す差異のない社会のことです。どんなに物質的に満ち足りても人間同士の間で相対的な基準をでっち上げて優劣を決めることから抜け出せなければ、永遠に勝ち組と負け組が再生産され続けて、すべての人が幸せになることはできません。必ず相対的に少数の勝ち組だけが幸福感を享受し、多数の負け組が劣等感に苛まれて不幸となる。 この相対性の罠にかかってしまっては、どんなに経済が発展しようとも、どんなに科学技術が進歩しようとも、すべての人が幸福になることはできませんね。常に他者との比較でしか幸福を実感できないのですから。自分が幸福を感じるためには、他人の不幸が必須条件。他人の不幸な様を見てはじめて自分は「あいつらよりは勝っている」と言って優越感に浸ることができる。それが幸せの源。ああ、なんということでしょう。他人が不幸にならなければ自分が幸福になれないとしたら。ああ、なんという呪い! これを解決できるのは信仰しかないと思います。 さて、その前に生物として生存できなければ始まりませんね。なので生物として生き残るための物質的条件の確保、すなわち人間の場合は「衣食住」の確保は前提条件です。これは信仰が直接解決できるものではない。しかしこれを無視してはすべての人が幸福になることはできません。そして物質的条件の確保に絡んでお金は避けて通れないので今ドツボにはまっているところなのです。 その生存のための物質的条件の確保ですが、人口が増え続ければいずれ生態系への負荷が過大になって維持できなくなるのは必然ですから、出生率を下げて人口を減らしていくこと以外に道はないと思われます。これは前に見てきた通りです。 そして人口問題が解決されれば、量的に衣食住を確保することは可能である。実は今でも世界全体としては衣食住は足りている。不足の一方には過剰があり本当は分配の問題である。しかし、今の足りている状況は生態系に過剰な負荷をかけている状態での結果なので、環境や生態系をすさまじい勢いで破壊し続けて...

ベーシックインカム

 借金ができない世の中になったら、生活に困ったらどうするのかという心配に対して、生活保護というセーフティーネットがあると言ったのですが、それよりもっと進んだ考え方が 「ベーシックインカム」 というものですね。これは生活に必要な基本的な支出を社会が支給するという制度で、まだ実現された国はないようですが、社会福祉が進んだヨーロッパの国々などでは議論が進んでいるようです。前に見てきたように、北欧や西側ヨーロッパ諸国では生活保護の捕捉率が高い。すべての国民に衣食住を保障しようという考えが国民全体に共有されているのでしょう。そうした国々から「ベーシックインカム」という発想が生まれるのもうなずける。 「足るを知る」仏を信じる者にとって 「少欲知足」を座右の銘にする者にとって 「ベーシックインカム」は極楽みたいなものですね。 天国は近づいたのかな。極楽浄土はもう近い。 ただしこれを実現するにはかなりの財源が必要となる。いきなりは無理かな。ならば一部現物支給との組み合わせはどうかな。コメが今高騰しているけどコメをつくれるのに作らせないから休耕地いっぱいあるんですよ。生産能力はまだまだあるんです。衣料も捨ててるし空き家もいっぱいあるし。現物をうまく分配する仕組みを組み合わせつつベーシックインカムに移行していくのは可能なんじゃないですかね。 でも、せっかく「ベーシックインカム」で健康で文化的な生活(「最低限度の」と憲法では付けますがこれ僕嫌い。健康で文化的だったら最高も最低もないんじゃないの。少欲知足的発想だけど)を送るためのお金が支給されても、速攻オンラインカジノに全額投入!たちまちスッてしまう、ってことになったらどうしましょう。そういう人には現物支給しかないですね。

宝くじは詐欺

 さて、借金がカネ野郎の詐欺であり罠であることはこれまで見てきた通りですが、もう一つ禁止すべき詐欺行為があります。それがギャンブルです。そしてその中の一つが 「宝くじ」 金を賭けて運に任せて高額なリターンを得ようとする行為をさしてギャンブルというのです。だから「宝くじ」も立派なギャンブルなのです。そして高額なリターンどころか必ず損するように仕組まれている。要は人間はカネ野郎の計略にまんまと引っ掛かっている。どんな計略か、ちょっと見てみましょう。 またあの人に登場してもらいましょう。「一見親切そうな」彼に。彼は言います。 「100円くれない?」 何で私がやつに100円タダでやらなきゃならんのか。当然断ります。次にやつはこう言います。 「100円やるから200円くれない?」 それでは100円の損じゃねーか。やるわけないだろ。当然断ります。それでもやつは引き下がりません。今度はこう言います。 「200円くれたら、1億円やろう。ただし100万分の1の確率でね」 ん?1億円?でも確率は100万分の1?その場合の期待値は 100000000×100万分の1=100 100円か。結局損じゃないか。その手に乗るか。と言いたいところですが、今度はなぜかみんな引っ掛かります。その手に乗りまくりです。これが宝くじの正体です。何のことはない、ただ100円巻き上げられただけです。なぜ引っ掛かるのか。 みんな1億円と聞いた瞬間、頭が真っ白になって空想の世界にトリップしてしまいます。 「ああ、1億円!1億円もあればあれも買える、これも買える。夢がかなう・・・」 もう1億円の夢の中でうっとりしてしまいます。100万分の1といった確率の話はどこかに飛んで行ってしまい、もはやあなたの頭の中には存在しません。1億円、1億円、1億円という言葉だけが呪文のように存在します。あなたにとっては1億円だけが実在なのです。 「ぜひともその話、乗ります。どうか乗せてください。200円とか言わず、もっと、もっと、いくらでも出しますから・・・」 この場合の宝くじの償還率は50%ですね。つまり、確かに誰かに1億円払うことにはなるのですが、売り上げは2億円。つまりトータルでカネの野郎の1億円の勝ち。人間の1億円の負けとなります。これって詐欺じゃないですか。こうしてまたまた「お金クン」は増えていく。 裏で糸を引いている...

仏教は借金のない世の中を目指す

 僕が借金を目の敵にして禁止しようとか言っているのは、人類を金の支配から解放して主権を人間の側に取り戻したいからですが、その動機の源となるエネルギーはどこから来るかというと 「仏から来る」 ようです。仏教の教えから来ると思っています。そして仏とは慈悲なので慈悲の導くままに進むとどうしても借金自体が許せないわけです。なぜなら仏の教えの根本の一つは 「足るを知る」 ことを説いているからです。そして借金ほど「足るを知らない」ものはない。 「ああ、あれが欲しい。これも欲しい。でも金がない。借りればいいか」 なんという浅はかな考え!今でさえ金がないような人が、後になって金があるわけがないではありませんか。しかも、後になったら借金が増えている。借金は何の解決にもなりません。問題を解決するどころか、事態をもっと悪化させます。そして借金で手に入れたものまで借金のカタに取られて手放す羽目になり、最後には借金だけが残る。何をやっているのでしょう。 だいたい、借金は詐欺同然に人類に損害を与えるように仕組まれているのです。ちょっと考えてみましょう。誰かが親切そうな顔をしてあなたに近づいてきて 「100円頂戴」 と言ったとしましょう。何で私が相手に100円タダであげなきゃならんのか。当然断ります。そこで相手はこう言います。 「1年後に100円頂戴」 何でこの私が1年後に100円あげなきゃならんのか。やっぱり断ります。そこでさらに相手はこう言います。 「1000円あげるから1100円頂戴」 それじゃあこっちが100円の損じゃないか。もちろん断ります。でも相手はまだ引き下がりません。今度はこう言います。 「今1000円あげるから1年後に1100円頂戴」 何言ってんだよ。やっぱり100円の損じゃないか。そんな手に引っ掛かるかよ。と言いたいところですが、今度はなぜかみんな引っ掛かります。 年利10%で金を借りるというのはこういうことです。まんまと相手に騙されて100円巻き上げられてしまいました。詐欺と一緒です。借金は詐欺じゃないですか。しかも親切そうに「金を貸してあげる」などと恩着せがましいこと言って。タチが悪いですね。 金を貸す側は「期限の利益」などといって正当化してますが、それは事業資金などで借りた金を再投資して10%以上の利益を出せた場合のみ。しかも本当にそんな上手くいきますかね。そう...

ネットカジノと借金

 借金の理由については「生活費の補填」が一番多いようですが、今日の新聞のヘッドラインが 「ネットカジノ 半数が借金」 借金をギャンブルや麻薬と同じように禁止したい。借金を非合法にしたい。借金をできない世の中にしたいと祈っていたのですが、どうやらギャンブルと借金はグルのようですね。 ギャンブルで負け、それを取り返そうとして借金をして勝負の賭けに出て、またスってしまう。 負の無限のループ。アリ地獄ですね。 借金をできなくすれば、被害は最小限に抑えられます。いいじゃないですか。 新聞の見出しのつづきは「依存症の恐れ」とありますが、それについては僕も人のこと言えない。自分も「ネットゲーム依存症」だったからです。やめられない人の気持ち、よーくわかります。ただ、ゲームは好きだけど「金を賭ける」という発想はなかったので助かったんですかね。金は取られませんでしたが時間は取られました。現代は「時は金なり」ですから同じようなものか。でも、借金にハマらなかっただけマシですね。目が覚めれば立ち直りも早い。 ギャンブル依存症から立ち直っても、借金が残ってしまったら、その借金にあの恐怖の利子ってやつが付いて指数関数的に増加し、借金が雪だるま式に増えて、今度は借金地獄から抜け出せない。つまり立ち直ろうにも立ち直れない。 ギャンブルと借金 裏で糸を引いているのはやっぱりカネの野郎ですね。こいつが人類を破滅させようとしてるんですよ。ずっとカネをディスってきたけど。人類の真の敵はこいつだな。

生活保護の捕捉率

 さて、次は「借金のない世の中にしたい」、ということについて考えていきたいと思います。借金ができなければ生活に行き詰った時どうすればいいのか、という不安はあるでしょう。そのためのセーフティーネットは必要ですね。日本では生活保護制度がそれにあたりますが、実際には利用しづらく、しかも近年は国や自治体の経費削減圧力の影響で「水際作戦」などといってさまざまな理由をつけてなるべく生活保護申請者を窓口で追い返すことが頻繁に起こっているようです。とにかく日本はヨーロッパなどに比べて生活保護の捕捉率が低いようですね。以下AIによる分析です。 ”生活保護の捕捉率(生活保護を受ける資格がある人のうち、実際に受給している人の割合)は、国によって大きく異なります。以下に、各国の捕捉率と利用率(総人口に対する生活保護受給者の割合)を示します。 国名 捕捉率 利用率 日本 15.3~18% 1.6% ドイツ 64.6% 9.7% フランス 91.6% 5.7% イギリス 47~90% 9.2% スウェーデン 82% 4.5% これらのデータは、2010年の日弁連資料に基づいています。  日本の捕捉率が低い要因として、生活保護に対するスティグマ(恥の意識)や、制度に関する正確な情報の不足が挙げられます。  ただし、捕捉率に関する継続的な統計データは存在せず、これらの数値は推計値であることに留意が必要です。”  つまり、生活保護がきちんとセーフティーネットとして機能すれば借金のできない世の中になっても衣食住の確保は保たれます。だからお金に困っても、そして借金ができなくても、それで人生終わりではない。生活保護などのセーフティーネットからもう一度立ち直ることが可能なのです。また、可能な世の中にしたいと願っています。 AIもいいこと言ってくれてますね。 「生活保護に対するスティグマと制度に関する正確な情報の不足」 日本だけでなく世界全体で衣食住のセーフティーネットが構築されればいいのに。そしてそれは現在においてだって可能だと思っています。なぜなら衣食住は量的には今だって「足りている」のはこれまで見てきた通りだからです。あとは「分配の問題」なんですよね。 それにしても、日本のこの捕捉率の低さ...

人口の問題

イメージ
 衣食住が保障され、借金がなく、ワークライフバランスが適切の保たれ、人間間のでっちあげられた差異による嫉妬のない世の中にしたいですね。 人間の間に「個性」という差異はあるべきですが、それが「優劣」とか「上下関係」になってしまうと嫉妬という苦しみが生まれますね。 さらにそれが進んで「勝ち組」と「負け組」、もっと進んで「支配者」と「被支配者」となると苦しみはとどまるところを知りません。 それでも、衣食住が満たされ、ワークライフバランスが適切に保たれたら、「威張りたい奴は威張らせておけ」、そして「贅沢したい奴は贅沢させておけ」といって心の平安を得ることは可能かもしれませんね。 そこでまず考慮すべき最優先事項はやはり「衣食住の確保」でしょう。しかし、前に見たように、世界全体でも、実は量的には衣食住は「足りている」。不足とみられるところの一方では過剰があり、実は量の問題ではなく分配の問題です。ただ、人口が限りなく増え続ければいつかは足りなくなるのではないか、また、現在は足りているとはいっても相当環境や生態系に負荷をかけているのではないかという懸念は残ります。次のグラフは人類の誕生からの人口増加のグラフです。 対数スケールを用いているため、長い時間軸の中での人口の増加がわかりやすくなっています。 特に、産業革命以降の人口増加が急激であることが視覚的に示されていますね。 次にあげるのは生態系における食物連鎖のピラミッドです。 食物連鎖のピラミッドは通常、以下のように構成されます: 生産者(植物、藻類など) :光合成を行い、エネルギーを供給する。 一次消費者(草食動物) :植物を食べる動物(例:ウサギ、昆虫)。 二次消費者(小型肉食動物) :一次消費者を食べる(例:カエル、ネズミ)。 三次消費者(大型肉食動物) :二次消費者を食べる(例:ヘビ、キツネ)。 頂点捕食者(最上位の捕食者) :食物連鎖の頂点にいる(例:ワシ、オオカミ) ピラミッドは、生産者から頂点捕食者までの各レベルを視覚的に示しています。 この図によれば、頂点捕食者が増えればそれを支える下位の生物も増えなければなりません。わたしたち人間は現在もちろん頂点にいますね。その人類が、産業革命以降爆発的に増加したとすれば、下位の生物層も爆発的に増加しなければ生態系のバランスは取れないということになります...

「一番になりなさい」という呪い

 ワークライフバランス以外に人間の幸福を阻害するもう一つの大切な要素を忘れてました。 それは 「出世競争」 です。これも銀行にいたたった1年半の間に痛感。行員の若い先輩は同期がもう代理になっているのに自分はまだ「代理」になれないといって悲しみ、代理は代理で「何で俺はまだ代理なんだ」といって悲しみ、もうすぐ定年の次長は次長で「おれは次長で終わってしまった。でもあいつが支店長までいったな。それが悔しい」といって飲みの席で僕に愚痴をこぼし、例の大学の先輩の支店長は行員の役職名簿などを見て「ああ、こんなの見たくもない!いやになっちゃうよ!」と言って愚痴をこぼしていました。 組織に入った以上、出世競争から逃れることはできません。そして上には上がいる。一番になること以外、救いはない。 なんか、「カネ」のところで考えた時の、「差異」のでっち上げと同じですね。神は憐れみ深く、わたしたちすべてに生きるのに十分な恵みを垂れてくださっているのに、欲望の悪魔が人間を満足させないように、「足るを知らない」ように、人間同士の間に無理やり「差異」をでっち上げ、「勝ち組」と「負け組」を再生産し続ける。科学技術がいくら進んでも、そのおかげで人類が物質的にいくら豊かになっても、自分が誰かより上か下かといって、自分を相対的にしか評価できないなら、心の平安はいつまでも得られず、幸福は逃げ水のように捉えられない。 「一番になりなさい」 それって励ましてるつもりですか。 人間を永遠に不満の状態にさせておくための、欲望の悪魔の呪いではないですか。 そして、その不満を解消させるためには出世しなければならない。出世するためには売上げを上げなければならない。こうして人間を出世競争に駆り立ててお互いに競わせながら利潤追求に邁進させ、その結果、「お金」は増える。 やっぱり黒幕は「お金」だったのか。お金の野郎が人間を支配し、操る巧妙な手段の一つが、出世競争だったのです。 お金とは「富」、出世とは「名声」ですね。 「富と名声」 仏の教えがまず捨てろと言っていたものです。ギリシャの哲学者だって言ってたんじゃないですか。そしてほかの宗教だって言っているはずです。 そういえば今の僕の仕事、 「世間体が悪くてねえ」 ってぼやきましたが、世間体って「名声」のことですね。収入にしたって「これくらいでもういっか」っていうのは「富」...

ワークライフバランス

 せっかく銀行に就職できたのに、1年半で辞めてしまったのですが、その理由は正しくは 「信仰に走ったから」 ではなく、 「そこにいても幸せになれないってわかったから」 です。支店にいる上司の方々の目がみんな死んでるんですよね。とにかく目に輝きがない。そして何気ない時にポロっと出る一言は 「ああ、人間らしい生活がしたい」 女性行員はというとまだマシでしたね。一般職の方たちですけど。まあ悪くはないみたい。 その違いはどこからくるのか。それは 「彼女たちはほぼ定時で上がれるから」 です。男性行員たちは夜遅くまで残業してるんですよね。それで疲れ切ってるって感じ。そして人生にも疲れ切ってしまう。結局 「ワークライフバランス」 の問題なんですよ。ワークライフバランスが崩壊していたら、いくら大企業にいたって幸せにはなれません。みんな一流企業とか大企業の肩書だけで人生の幸不幸を判断していますがなんて皮相的にしか物事を見てないんだって思いますよ。僕も今はフリーランスで仕事をしているから、よく 「銀行にいた方が良かったんじゃない」 とか言われますけど、とんでもない。二度とあんなところに戻りたくありませんよ。僕の大学の先輩が支店長でいたんですけど、決して幸せそうじゃない。僕に対しても 「君も何でこんなところに来たんだ」 って感じでしたね。 「もっと別の人生が(マシな人生が)あったんじゃないか」 って訴えている感じでしたよ。僕もたとえうまくいって支店長になれたとしても、ああなんのか。自分の未来が見えちゃったな。 結局サラリーマンは自分で仕事の量を決められないからワークライフバランスを保つのは至難の業ですね。企業は極限まで利潤を追求せざるを得ないのが資本主義ですから、利潤追求の圧力は過剰なノルマとして絶えず従業員にのしかかってくるわけです。前も言ったように資本のやつらは 「人間は生かさぬように、殺さぬように」 って思っているわけです。つまり株式会社は 「社員は生かさぬように、殺さぬように」 つまり、社畜ですね。しかもこの風潮、株式会社だけでなく、公務員や学校や病院などあらゆる職場にまで蔓延しているみたい。とにかくどこもかしこも 「ワークライフバランスの崩壊」 が見られますね。どうしてもワークライフバランスを保ちたければ、自分で仕事量を決められるように独立するしかない。 ということで、僕...

「お金ちゃん」との別れ

 まんまと銀行に就職し、憧れの「お金ちゃん」との逢瀬を重ねた僕でしたが、そんな二人の蜜月も長くは続きませんでした。 「お金ちゃん」、きっと怒ってるだろうな。裏切って神のもとに、仏のもとに走った僕を。 「あんなにさわらせてあげたじゃない」 ごめん、僕たち、きっとうまくいかないよ。 僕は君から自由になりたいんだ。 君に束縛されたくないんだ。 さようなら。僕はもう行くよ。 二人のせつない別れの瞬間です。 こうして僕は銀行を1年半で辞めてしまいました。確かに「さわらせて」もらいました。お金を。1日で普通の人が一生かかってもさわれないほどのお金を。毎日、毎日。だからもうさわりたくないのです。お金なんて。だから 「お支払いは?」 「PayPayで」 でも「お金ちゃん」、本当に怒ってるのかな、僕のこと。 本当は気あるんじゃないの。 だって、僕の預金口座の残高、増え続けてるよ。 もしかして、まだ未練あるの?僕に? ふざけてばかりいないで、そろそろ真面目に行かなければなりません。 預金の残高が増え続けているのは、収入の範囲内でしか金を使わないからです。足るを知っているからにすぎません。だから当たり前です。 足るを知れば、「お金ちゃん」は勝手についてくるのです。付きまとってくるのです。 「少欲知足」によって主導権をお金から人間の手に取り戻せば、お金に翻弄されることなく、お金を管理できます。お金に支配されるのではなく、こっちがお金を支配するのです。 もう「お金ちゃん」の尻に敷かれることはありません。 もちろん「大金持ち」にはなれません。「少欲知足」なのですから、必要な分しかいりませんし、それ以上は欲しくもありません。それで満足しています。満ち足りています。だから心に平安がやってきます。そもそも「金持ちになる」ことは「時間の無駄」だと考えています。 結局、ソクラテスの言った 「君たちは自分のお金を増やすことばかり考えていて、恥ずかしくないのか」 に戻っていきます。それより「魂の救済」とか「真理の追求」といったやるべきことがあるだろう、ってことです。同時に、社会に貢献するために仕事はしたいと思っています。そして神は、仏は、ちゃんと見ていて、そういう人には仕事を下さいます。仕事は向こうからやってきます。だから収入はあります。でも「少欲知足」なので支出は少なめ。だから「お金を増やすことば...

「お金」という新たな生命の誕生

 私は敵の司令部にいました。お金が沢山あるところ。お金が集まるところ。銀行です。 「裏切者!」 確かに。 「スパイなのか」 かもね。もしかしたら「二重スパイ」かも。 「なぜ銀行に入ったのか」 それはもちろん 「お金が好きだから!」 出納にいたときなんか 「〇〇クン、3時までに2億お願い」 「わっかりました!」 1万円札を100枚で小帯、それを10個で大帯にして1千万を作ります。それを10個で1億、20個で2億ですね。だいたい30分くらいですかね。作るのに。それをカバンに入れます。1億だと一人でもなんとか持てるけど、2億だと2人じゃないときついですね。 お金です。おカネです。大好きなオカーネです。夢にまで見た、憧れのお金です。いっぱいあります。いくらでもあります。右を向いても、左を向いても、前を向いても、後ろを向いても、下を向いても、上を向いても、360度、全方向お金です。 「さわってもいいのよ」 この1万円札の手触り、たまりません。いやらしい手つきでさわります。なでまわします。 「もっとさわってもいいのよ。いくらでもさわって」 ああ、新札のかぐわしい香り。キラキラ輝く硬貨たち。500円硬貨、100円硬貨、50円硬貨、10円硬貨、5円硬貨、1円玉。1本50枚で出てきます。お金です。おかねです。オカーネです。 「お母さん、お父さん、ついに来たよ。ほら、こーんなにお金がいっぱい。やっとついたね、極楽浄土に、天国に。」 涙が止まりません。恍惚として薄れゆく記憶の中で、ここはどこ、私は誰? 「あなたは誰なの?」 溶けてゆく自我。迫りくるエクスタシーのなかで、お金の女神と一体となる。そして女神が耳元で囁きます。そっと、優しく囁きます。 「あなたは誰なの?」 わたしは、わたしは、 「私はお金・・・」 憧れてやまないお金。あれほど欲しかったお金。お金のためならどんなことでもしよう、お金に身も心も捧げたい。そしてついに僕はお金となる。憧れのお金になれたのです。 とうとう彼はお金が好きすぎて、お金になっちゃったみたい。こうしてお金は、人間から魂を奪い、生命を吸い取って、自ら生命を得たのです。 お金という新たな生命の誕生です。 お金という女神、新たな支配者の誕生です。 「ところで、じゃあ何で今君はここにいるのさ」 そうですよね。上の話、一部嘘があります。僕が銀行にいたのは本当です...

「金」に勝つ方法

 借金をしたら利子がついて指数関数的に増加するので、すぐに手が付けられなくなり破滅する。指数関数的増殖力の怖さはこれまで見てきた通りですが、カネに勝つ方法はないのか。 もうこれは負け戦なのか。 ちょっと待てよ。借金しなきゃいいんじゃない。というか預金したらどうなる。今の米ドルの定期預金の利率は・・・4.1%(住信SBI)か。1.041の100乗はと・・・ 1.041の100乗は約55.60です。(by ChatGPT) 「55.6倍!やったぜ!俺は金持ちだ」 100年たったら死んでるって?そっか。意味ないな。じゃあ30年なら 1.041の30乗は約3.34です。(by ChatGPT) 「3.34倍か。けっこういいじゃん。もう貧乏じゃないぞ」 もしかして今、勝ちました?カネに?われらが人類の敵、あのほぼ無敵の「カネ」って野郎に? 借金も指数関数的に増えますが、預金も指数関数的に増えるので、敵の強さの秘密である「利子」ってシステムを逆に利用して預金できたら一応勝てますね。 借金と預金 この違いはどこからくるのか? 日々の生活の収支でしょうね。収入より支出が上回れば借金、収入より支出が下回れば預金。ふっふっふっ、大したことないけどちょっとくらいなら僕だって預金あるよ。少なくとも借金は無いわい。 高収入? まさか。「少欲知足」とか「吾唯知足」って言ってるやつが高収入なわけないでしょ? じゃあ何で預金できるのさ? だから「少欲知足」だからですよ。「吾唯知足」だからですよ。これ仏さまからいただいた生き抜くための強力な武器ね。武器というか防具だね。これを装着するとめっちゃ支出が減るわけさ。収入は低いが支出はもっと低い。だからトータルでは毎月黒字ですね。いやでも貯金が積み上がっちゃう。あとは敵の強みである「利子」のシステムを逆に利用して預金したら勝ちってことですかね。 仏の教えって「金の誘惑」にめっちゃ強いんですよ。前にも書いたでしょ? ”こいつらにだけは「金の誘惑」が効かねえ” って。カネも禅僧には攻めあぐんでましたよね。僕は禅僧ほどじゃないけど「少欲知足」のはしくれなので、カネの欲望攻撃に対する耐性は強いわけです。 「利子を取ってはならない」 このイスラムの教えは、カネの自己増殖機能そのものを破壊する、まさに急所をねらった一撃ですね。攻撃力は最大。それに対して 「少欲...

最初は子猫のように

 ああ、昨日は怖かった。 実際電卓叩いてみて、恐怖で震えた。 絶叫しそうになりましたよ。100年で13780倍! 利子というものは恐ろしいものでした。 年利10%と聞けば 「大したことないじゃん!」 と思うでしょう。最初は子猫のようにかわいい姿で近づいてあなたを油断させ、気が付くとどんどん増長して手が付けられなくなり、ついにはあなたを飲み込み、あなたの家族や親戚や友人をも飲み込む。連帯保証人としてね。(ああ、「連帯保証人」!誰が考えたかこの悪魔の制度!これで幾多の善人が他人の借金に巻き込まれ破滅させられたことか!)そして国をも飲み込み、世界をも飲み込み、地球をも飲み込み、ついには全宇宙をも飲み込む。 2倍になってからは早かったですね。8年で2倍だから100年では 8:2=100:25 うーん、25倍か。ではなかった。実際は13780倍!指数関数をなめてはいけません。指数関数的増加は人間の感覚をはるかに超えた増殖力を持つのです。(だから借金もなめてはいけない) 誰の仕業なのか? こんな魔力をカネに与えてしまったのは。 そしていつから? 少なくとも2500年は遡りますね。3000年くらい?では、そのときからカネは増え続けてるってことか?やってみます?1.1の3000乗。もう電卓では無理なので、ChatGPTにやってもらおう。えーと・・・ 1.1 3000 1.1^{3000} は約 1.51 × 10 124 1.51 \times 10^{124} です。 ん?ダメだ、理解できない。これってもしかして 15100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000倍ってこと? (借金1円返し忘れて死んで、3000年後に最後の審判で復活したらこれ払えってか?) もうとうにこの世界を飲み込んでいる。 カネがこの宇宙を完全に覆い尽くしている 「主導権を金から人間の手にもう一度取り戻す」 僕がやろうとしていることは、負け戦なんですかね? 勝ち目ない? 敵は手ごわい ていうかほぼ無敵? でもやめるわけにはいかないんですよ 愛と慈悲の導くままに

利子を取ってはならない

 「利子を取ってはならない」 コーランにある有名な教えですが、これはカネの自己増殖機能を無効にする強烈な一撃ですね。前に 「カネは自己増殖機能を備えているので、もはや"生命"である」 と書きましたが、そのカネの自己増殖機能のよりどころとなるのが「利子」なのです。人間は物々交換に代わって「カネ」をつくりだして交易や富の蓄積を容易にした。さらにカネに「利子」を付与することによってカネそのものに自己増殖機能を与えてしまった。カネに「生命の息吹」を吹き込んでしまったのです。そしてカネは「自ら増える」という意思を持ち始め、その手段として人間を用い、支配するようになった。 一旦カネに利子を与えてしまうと、それは等比級数的に増加します。生物が等比級数的に増加するようにね。(この増え方を見るだけでも、カネが”生命”をもってしまったことがわかるでしょ。)たとえば細胞が分裂すると2倍に増える。もう一度分裂するとさらに2倍。2のN乗ですね。利子が年率10パーセントだとすると、1.1のN乗。 「大したことないじゃん!」 いや、8年で2倍、30年でなんと17.4倍!になります。さらに50年では117倍、100年で13780倍!借金は雪だるま式に増えていく。こうやって、人間は次々と借金で首が回らなくなって、破滅していくのです。今も昔も。個人も借金で破滅、会社も借金で破滅、国家も借金で破滅。だから僕は借金は嫌いです。借金を憎む。借金は悪だと思っています。借金のない世の中、借金のできない世の中にしたいと思っています。借金を禁止したい。麻薬と同じように、ギャンブルと同じように禁止すべきだと思っています。 30年で17.4倍、50年で117倍、100年で13780倍!ですよ。嘘だと思うなら自分で電卓で計算してみたらどうですか。1.1×1.1×1.1・・・・って100回。最初は大したことないって思うでしょう。年10%くらい。それでみんなやられるのです。ここ2千年以上、ひょっとしたら数千年以上、ひたすら人類はやられてきたのです。もうやられっぱなしです。 こうやって、人類は「カネ」の支配下に入った。自分で「カネ」を生み出し、自分で「利子」を発明し、自分でその奴隷となる。 もう救いようがありません そんなわたしたちを見るに見かねて、神は 「利子を取ってはならない」 という啓示を下されたので...

起きて半畳、寝て一畳

 いやー、昨日は書いててアホらしくなってしまいました。人間は2000年以上、ひょっとすると何千年も前から何の価値もないものに価値があると思い込んで、つまり「お金様」の術中にはまって、蜃気楼を追いかけていたんだなあと思うとアホらしくてアホらしくて。 そりゃー出家の一つや二つ、したくはなるわな。こんな娑婆世界、一抜けたとかいって。 そうやって原始仏典ではみんな本当に出家しちゃうんですけどね、一人残らず。それでどうなったかは忘れました。 とにかく、もう一度「交換価値」についておさらいしておくと、われらが崇める「お金様」は人間を満足させないために無理やり差異を作り出した。衣食住についても、本当は足りてるんです、量的には。そこでみんなが、 「吾唯知足」(われただ足るを知るのみ) とかどっかの禅僧みたいなこといって、あとは神の御恵みに甘んじて幸せに生きようなんて言い出したら大ごとです。お金が増えない。経済成長ができない。 ああ、「経済成長率」! なんという呪縛 とにかくわたしたち人間が満足して幸せになってしまったら、「お金様」は困るんですよ。だから何としても「不満」を作り出さなければならない。 そこで「お金様」は「衣」についても「高級なもの」と「低級なもの」、「食」についても「高級なもの」と「低級なもの」、「住」についても「高級なもの」と「低級なもの」、その他ありとあらゆるものについて「高級なもの」と「低級なもの」、さらには人間そのものについてまで「高級な者」と「低級な者」(つまり身分制度)という「差異」を無理やり作り出して、人間の欲望と虚栄心の炎が永遠に燃え盛るようにし、利潤と投資のサイクルが永遠に続くようにして、「お金様」ご自身が未来永劫に増え続けるようになさったのです。そしてお金様の支配が続く限り、人間は未来永劫「不満」のもとに置かれる。 衣食住の需要が「量」的問題にとどまる限り、それは絶対的指標であって、限度はある。ゴールはある。ところが、そこに「高級」とか「低級」とかいう「質」的問題、つまりでっちあげられた「差異」が生み出されることによって、すべてが「相対的」となり限度がなくなる。量的には足りているのに 「お前たちが手にしているのは「低級なもの」だ。だからお前たちは不幸なんだ」 と信じ込ませる。基準が絶対的なものから相対的なものになったら、終わりがない。差異が...

交換価値

 こう見ていくと、現在人類全体としては「衣食住」に関しては需要を満たすだけの生産能力はありますね。それどころか生産過剰で供給過剰になっているくらい。不足と思われるところの一方には過剰があり、問題は量ではなく分配にある。 科学技術が発達するにつれて生産能力は上がりますから、この状態はもっと前から存在していたと思われます。そこで 「もうおなかいっぱいです」 といって満たされてしまったら、つまり「足るを知ってしまったら」、資本主義の目指す利潤と投資のサイクルが止まってしまいます。人間を満足させてしまったら、お金が増えない。これは支配者であるわれらが主、「お金陛下」にとってははなはだ都合がよくない。何としても欲望を掻き立てなければ。ということで考え出されたのが 「交換価値」 というやつ。衣食住など実際に使用するためのものに与えられる使用価値に対して、実際には使用価値のないものに無理やり価値を「でっちあげて」付けるわけです。たとえば宝石。宝石なんか人間の生存のためには何にも役に立たない。食べられないし使えない。それでも 「キラキラしてるから」 という理由だけでものすごく高い値段を付け、価値があるように見せかける。そうすると 「高いから」 という理由だけでわたしたちはそれに「価値がある」と錯覚して飛びついてしまう。新たな価値の創造です。というかでっちあげ。これが「交換価値」の正体ではないですか。 まともな「使用価値」の場合、食べれるから、使えるから、人間の生存に役に立つから、「価値がある」のです。そして価値があるから「高い」のです。ところが交換価値の場合、「高い」から「価値がある」。つまり価値が逆立ちしてしまっている。その典型がお金で、例えば1万円札にしても、あれはただの紙切れであり、そのままでは何の価値もない。それに無理やり「1万円」と書いて「1万円の価値がありますよ」って強引に主張する。そうすると発行元の政府が信用されている限りは「ああそうか」っていって通用するわけです。本当はでっちあげなんですけど。その原理の最たるものが「仮想通貨」ではないですか。何の価値もないモノ、というかモノすらない架空の通貨概念に創造者が「価値がありますよ」というか「後から価値が上がりますよ」つまり「後で値上がりしますよ」と何の根拠もなく強引に主張することで「へえ、そうなの」って感じで信じる...

今度は「吾唯知足」のすすめ

 それにしても私たちを虜にしている素敵な「お金ちゃん」はスピード狂のようです。どうしても止まらないし、誰にも止められない。 資本主義という利潤と投資の永遠のサイクル 私たちが行っている「経済活動」って何のためですか。 「食うため」 ですよね。だったら、人類を食わせるのに必要な食糧が生産できたら、そこで経済活動やめたらどうです?今でも全人類に食わせるだけの食糧は生産できてるじゃありませんか。 「まだ多くの飢えている人々がいるじゃないか」 確かに。でも 「それ以上に多くの人が肥満で健康を損なっている」 つまり、世界では一方で食糧不足があり、一方で食糧過剰がある。本当は足りてるんですよ、食糧は。要は分配の問題じゃないですか。それにいくらお金があるからって、必要以上に食糧を持ってたって意味なくないですか。ひとり一人前以上食えないし、余分に持ってても腐るだけじゃないですか。たまには食べ放題とかいって一人前以上食べたいかもしれませんが、そんなの毎日続けたらすぐに肥満で死にますよ。 「死なないよ」 いや、死にます。肥満になったら成人病のリスクが高まるので、病気になって死ぬのです。そもそもお金って何のために必要ですか? 「食うため」 ですよね。だったら、食うための分が稼げたら、経済活動やめたらどうです?いつも疑問なんですけど、年収何千万とか何億とか何十億とか、中には何兆円とか聞くんですけど、そんなに持っててどうすんですか?食うためだとすると、店に行って5人前とか10人前とか100人前とか1万人前とか頼むのかな、毎回?一人前しか食べられないのに? 「いや、人は食うためだけじゃなくて、住む場所もいるぞ。」 確かに。まずは「衣食住」だもんね。だったら、人類全体に住居が供給出来たら、そこで経済活動やめたらどうです? 「ホームレスの人々がいるじゃないか」 確かに。でも 「空き家だらけで困っている自治体も多数」 つまり足りてるんですよ、住居も。要は分配の問題じゃないですか。しかも、タワマンとか高級物件なんか、投資目的で購入し、実際は住んでない住居が沢山あるじゃないですか。住居に使えるのに使わないで、投資のため、つまりお金を増やすために所有しているって、どうなんですか?いっそのことホームレスの人々に居住実体のないタワマンに住んでもらったらどうです?さぞかし快適な居住環境が得られるでしょう...