儒教の教えも愛がすべて
前々回のポストで、儒教の教えは忠恕のみだとして、その忠恕とは愛ではないかと僕は書いたのですが、それに伊藤仁斎は答えてました。 「仁は、徳のうちでも偉大なものである。しかしこれを一語によっていいつくそうとすれば、愛そのものだ。」 「愛から発するときは、本物であるが、愛から発しない時は、いつわりのものに過ぎない。だから君子(徳のある人)は慈愛の心をもっとも大切にし、残忍酷薄の心をいちばん悲しんだ。」 「慈愛の心があらゆるものにまじりあってゆきわたり、残忍で薄情な心が少しもない、これこそ仁と言うのである。」 「ほんのわずかの時間にもあり、眠っているあいだもはたらき、心に常に愛があり、愛が心に満ち、心と愛が完全に一つとなっている、これこそ仁である。だから徳というものは、人を愛するのがいちばん大切であり、人の心をそこなうより不善なことはないのだ。」 「仁は究極のところ愛につきる」 以上、仁斎の言葉です。 これで儒教の教えは愛がすべてであるということがはっきりしました。 キリスト教も愛がすべてだったよな。 儒教の伝統ある中国とキリスト教が根強いアメリカが今覇権争いとかしてますけど、きっと分かり合えますよ。人々の心の中にある愛があふれ出して、世界を覆いつくすようになれば。 愛と慈悲の導くままに ←