やっぱり「悪人正機説」のお世話になることに

 本当のクライマックスを書いていたら、いつの間にか自分が悪者の側に立っていて、無償の愛で救われる筋書きになっていました。

そんなはずじゃなかったんですが

「愛と慈悲の導くままに」書いたらこうなちゃったんですよ

「自分にやましいところがあるんじゃないの」

まさにその通りだと思います。自分の心の中にもあのイブリース(悪魔)は住んでいるのですから。こうしてみると、やっぱり親鸞の

「悪人正機説」

じゃないと困るわけですよ、僕は。これ、今でも何かと物議をかもす説ですが、これを批判する人は、自分はさも善人であるかのような顔をして言うんですよね。キリストに

「自分が今まで罪を犯したことがない人だけ、石を投げなさい」

と言われて、女に石を投げちゃうタイプですかね。ああ、おそろし、おそろし。

こうして、図らずも、親鸞の「悪人正機説」でなければ救われないことを、自分で証明するハメに。

でも、これで良かったのかなと思っています。

愛と慈悲の導くままに

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