「お金ちゃん」との別れ
まんまと銀行に就職し、憧れの「お金ちゃん」との逢瀬を重ねた僕でしたが、そんな二人の蜜月も長くは続きませんでした。
「お金ちゃん」、きっと怒ってるだろうな。裏切って神のもとに、仏のもとに走った僕を。
「あんなにさわらせてあげたじゃない」
ごめん、僕たち、きっとうまくいかないよ。
僕は君から自由になりたいんだ。
君に束縛されたくないんだ。
さようなら。僕はもう行くよ。
二人のせつない別れの瞬間です。
こうして僕は銀行を1年半で辞めてしまいました。確かに「さわらせて」もらいました。お金を。1日で普通の人が一生かかってもさわれないほどのお金を。毎日、毎日。だからもうさわりたくないのです。お金なんて。だから
「お支払いは?」
「PayPayで」
でも「お金ちゃん」、本当に怒ってるのかな、僕のこと。
本当は気あるんじゃないの。
だって、僕の預金口座の残高、増え続けてるよ。
もしかして、まだ未練あるの?僕に?
ふざけてばかりいないで、そろそろ真面目に行かなければなりません。
預金の残高が増え続けているのは、収入の範囲内でしか金を使わないからです。足るを知っているからにすぎません。だから当たり前です。
足るを知れば、「お金ちゃん」は勝手についてくるのです。付きまとってくるのです。
「少欲知足」によって主導権をお金から人間の手に取り戻せば、お金に翻弄されることなく、お金を管理できます。お金に支配されるのではなく、こっちがお金を支配するのです。
もう「お金ちゃん」の尻に敷かれることはありません。
もちろん「大金持ち」にはなれません。「少欲知足」なのですから、必要な分しかいりませんし、それ以上は欲しくもありません。それで満足しています。満ち足りています。だから心に平安がやってきます。そもそも「金持ちになる」ことは「時間の無駄」だと考えています。
結局、ソクラテスの言った
「君たちは自分のお金を増やすことばかり考えていて、恥ずかしくないのか」
に戻っていきます。それより「魂の救済」とか「真理の追求」といったやるべきことがあるだろう、ってことです。同時に、社会に貢献するために仕事はしたいと思っています。そして神は、仏は、ちゃんと見ていて、そういう人には仕事を下さいます。仕事は向こうからやってきます。だから収入はあります。でも「少欲知足」なので支出は少なめ。だから「お金を増やすことばかり考え」なくても、お金は勝手に増えます。
信仰は素晴らしいです。
真の喜びが得られます。
経済活動にすべての時間を取られて信仰を忘れたら、何のために生きているのかわかりません。
お金を貯めるだけ貯めて、まったく使わずに死ぬのと同じです。
お金の支配する資本主義の世の中では、人間のすべての時間とエネルギーが利潤追求に費やされます。
これでは何のために生きているのかわからないではありませんか?
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