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仏教伝来

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 さて、神に恩寵を請う歌を歌ってじかに信仰心を頂いたのですが、それからどうすべきか。 信仰心は持っているが、どの宗教にするか、そしてどの宗派にするかは白紙の状態。ちょっと普通とは逆かもしれません。西洋などキリスト教が根付いている地域ならそのままキリスト教、中東などイスラム教が根付いている地域ならイスラム教、ユダヤ人ならユダヤ教、インド人ならヒンズー教と、地域に根付いている宗教があるなら迷うことはないかもしれません。それどころか、生まれた時から洗礼を受けていたりして最初から入信しているかもしれません。日本は仏教が文化としては根付いていても、実際に信じている人は少ない。さて、どれにしようかな。新興宗教は活発な活動が目立ってますが、怪しげなものもあるようなのでどうしよう。まずはオーソドックスな伝統宗教からですかね。 ということで、やはり日本に身近にある仏教から入ろう。 といってもすぐに入信するわけではありません。どの宗教も、そしてどの宗派も、自分たちだけが正しくて、他では救われないとか言っているらしい。それが本当だとしたら大変です。間違って救われない宗教に入ってしまったら一巻の終わりではないですか。だからどの宗教にするかは一世一代の大勝負となります。間違いは許されない。 じゃあどうするか。 少なくとも向こうの話くらいは聞かないことには話になりません。だから最低でもそれぞれの宗教の聖典、そしてそれぞれの宗派の開祖のお言葉があるならその宗派の聖典くらいは読まないと判断のしようがありません。だから、まずは 仏教→キリスト教→イスラム教 みたいな順序で話を聞いてみようかな、つまり聖典のお言葉を聞いてみようかなと思ったわけです。つまり 仏典→聖書(旧約、新約)→コーラン、ハディース で行こうかなと。ユダヤ教はユダヤ民族限定っぽいし旧約聖書で通るからいいか、そしてヒンズー教もインド限定に近い印象なので後回しでいいか、とその時は思いました。ユダヤ教徒とヒンズー教徒の方、すいません。とにかくあれもこれも一遍には手が付けられないのです。 ところで、仏教といってもいっぱいありますよね。まずは上座部仏教と大乗仏教に分かれているらしい。しかも日本は鎌倉時代に多くの宗派ができて、大乗仏教のなかでもいろんな宗派があるらしい。はじめは天台宗、真言宗、そして後には浄土宗、禅宗、日蓮宗などなど。そ...

まにまに

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 僕はまず仏教から入ったと言いましたが、その前にそもそも宗教に惹かれたきっかけを述べるべきですね。日本では仏教が根付いているとはいってもそれは文化的、または葬式などの生活の上でのことで、現代の日本人で信仰を持っている人は実際には少数派ですね。つまり、本当に宗教を信じている人はごく少数であると。ただし新興宗教系で活発に活動しているものはあるようですが。いわば、現代日本は宗教の空白地帯のようなものです。そのなかで生まれ育った僕も当然ずっと無宗教で来たわけです。そのような環境で信仰心を得るというのはまず無理でしょうね。 では、なぜ僕が宗教に惹かれたのかというと、実は音楽がきっかけなのです。前に銀行に就職して1年半で辞めたと書きましたが、その理由は「金に仕えるのをやめて神のもとに走った」からではなく、ただ単に「音楽がやりたかったから」です。音楽と言っても作る方ですね。ここは信仰のブログなので音楽について詳しいことは書きませんが、始めは宗教とは全然無縁の音楽をやってましたね。というか作ってましたね。今どきの世代の音楽。ところが、ある時期から宗教音楽にやたらと惹かれるようになった。日本の古代の神楽歌とか、グレゴリウス聖歌とか、仏教の声明とかコーランの朗読とか。声明やコーランは音楽ではありませんがCDが出てますね。作るにしてもどうしてもそういう方向に行ってしまう。どんな道にも突き詰めていくとそこには必ず神がいらっしゃるとは誰かが言っていましたが、その通りで、音楽であっても突き詰めていくと神に至るというのは本当だったんだな、というのが僕の実感です。音楽の中に聖なる存在をやたら感じるといいますか、また聖なる存在を表わしたくなるといいますか、やたらと神を、すなわち仏を、賛美したくなる。どうしても止まらないわけです。 そしてその時が来た それがいつだったか、はっきりと覚えているわけではありませんが、今思えばあれだったかなと思っている曲があります。神を賛美する曲ばかり作るようになった、というかそれしか作れなくなった。しかも自分は作る方で演奏するとか歌う側ではなかったにもかかわらず、自分で歌ってしまっている。神を賛美するのに人に任せることなんてできません。だから、自分に歌の技量なんてないのは百も承知ですが自分で賛美せざるを得ない。だから自分で歌ったのです。まともな音楽のセンスの持ち主...