まにまに

 僕はまず仏教から入ったと言いましたが、その前にそもそも宗教に惹かれたきっかけを述べるべきですね。日本では仏教が根付いているとはいってもそれは文化的、または葬式などの生活の上でのことで、現代の日本人で信仰を持っている人は実際には少数派ですね。つまり、本当に宗教を信じている人はごく少数であると。ただし新興宗教系で活発に活動しているものはあるようですが。いわば、現代日本は宗教の空白地帯のようなものです。そのなかで生まれ育った僕も当然ずっと無宗教で来たわけです。そのような環境で信仰心を得るというのはまず無理でしょうね。

では、なぜ僕が宗教に惹かれたのかというと、実は音楽がきっかけなのです。前に銀行に就職して1年半で辞めたと書きましたが、その理由は「金に仕えるのをやめて神のもとに走った」からではなく、ただ単に「音楽がやりたかったから」です。音楽と言っても作る方ですね。ここは信仰のブログなので音楽について詳しいことは書きませんが、始めは宗教とは全然無縁の音楽をやってましたね。というか作ってましたね。今どきの世代の音楽。ところが、ある時期から宗教音楽にやたらと惹かれるようになった。日本の古代の神楽歌とか、グレゴリウス聖歌とか、仏教の声明とかコーランの朗読とか。声明やコーランは音楽ではありませんがCDが出てますね。作るにしてもどうしてもそういう方向に行ってしまう。どんな道にも突き詰めていくとそこには必ず神がいらっしゃるとは誰かが言っていましたが、その通りで、音楽であっても突き詰めていくと神に至るというのは本当だったんだな、というのが僕の実感です。音楽の中に聖なる存在をやたら感じるといいますか、また聖なる存在を表わしたくなるといいますか、やたらと神を、すなわち仏を、賛美したくなる。どうしても止まらないわけです。

そしてその時が来た

それがいつだったか、はっきりと覚えているわけではありませんが、今思えばあれだったかなと思っている曲があります。神を賛美する曲ばかり作るようになった、というかそれしか作れなくなった。しかも自分は作る方で演奏するとか歌う側ではなかったにもかかわらず、自分で歌ってしまっている。神を賛美するのに人に任せることなんてできません。だから、自分に歌の技量なんてないのは百も承知ですが自分で賛美せざるを得ない。だから自分で歌ったのです。まともな音楽のセンスの持ち主だったら人に聞かせる代物ではないのはわかっているはずですが。

とにかく神を賛美して、神に憐れみを請うて、恩寵を降ろしてくださるように強要していた。神の扉の前で、いきなり礼儀も作法も無視して、大声で、爆音で、懇願したのです。恩寵を降ろしてくださるように。そして降りたのです。恩寵が。

こうして僕は信仰心を手に入れました。

きっとうるさかったと思いますよ。ひたすら大声で怒鳴っていたのですから。神様も苦笑していたに違いありません。なんか外でうるさいガキがわめいているが、どうやら恩寵を降ろせといっているらしい。しょうがないから信仰心をくれてやろう。

魂を込めて歌えば、神はちゃんと聞いてくださるのです。どんなに下手でも。

ということで、最初の1曲は多分これだったと思います。

ちなみに、題名の「まにまに」とは「(神の)仰せのままに」という意味です。後の歌詞は「おお、神よ、憐れみを」ですね。また後半は日本古代の神楽歌のフレーズが入っています。






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