「少欲知足」のすすめ

 さて、仏典が多すぎることから仏教の中でも様々な宗派が生まれて統制が取れないのが現在の仏教の現状かもしれませんが、ブッダの教えの基本はやはり原始仏典(阿含経典)だと思うんですね。もともと僕は親鸞に救われたので自分は「浄土真宗系」だと勝手に思っているのですが。それにもかかわらず、何でここであえて「原始仏典」(阿含経典)を押すのかというと、またここでお金の話に戻らなければならないからです。

現代社会は、というよりはるか紀元前の昔から、人間は自ら生み出した「お金」に夢中になって、中毒になって、支配され、その結果どんどん不幸になっていった。そんなわたしたちを見るに見かねた神が、仏が、本当に進むべき幸福への道を示してくださった。だからそのころ、本格的な宗教が世界各地で同時的に起こったのではないか、と推測してみたのですが、その「お金」に対して主導権を人間の側に取り戻すための教え、すなわち最強の武器の一つが仏教の説く

「少欲知足」(欲は少なく足るを知る)

だからです。ここで最強の教えのひとつと言ったからには、まだ他にもあるのかとお思いかもしれませんが、はい、あります。それはイスラム教のコーランが説く

「利子を取ってはならない」

です。それについてはまた別の機会に考えたいと思いますが、現代の資本主義社会においては、お金が人間を支配していますね。人間はお金中毒にさせられていますから、人間の心まで、人間の魂までもがお金に支配されています。その「お金」の目的はなにか。

「増えること」

です。

「増殖すること」

です。そうです、カネって野郎は増えたいのです。どうしても増えたくて増えたくてしょうがないのです。その時、人間が幸せになろうが不幸になろうが、そんなことは関係ない。ただ、お金クンは増えたいのです。ここで僕は「お金クン」とかいってお金を擬人化していますが、これは擬人化とかいう生易しいものではなく、実際にお金は生きていて、意思を持っている。お金は生命を持ってしまっていると考えています。その「お金」ってやつに生命を吹き込んでしまったのは人間なんですけど。人間の「欲望」が「お金」に投影されて、ついには「生命」となって自ら意思をも持つようになってしまった。そして自由自在に人間を操っている。そしてその目指すところは

「自ら増えること」

考えても見てください。生命って何ですか。生命の基本的要件の一つは

「自己増殖すること」

ですよ。生命は自らの遺伝子を複製し、自己増殖することが目的である、と定義されていませんか、科学では。ならば、自己増殖機能を備えた「お金」すなわち「資本」ってやつはもう「生命」ではないですか。こいつは相当やばい、相当手ごわい、相当「強敵」だと思うんですね。だから本当の、最後の、真のラスボス。そしてこいつに、人類は、ごく少数を除いて、勝てたためしがありませんね。常に連戦連敗。だから、こんなに科学技術が発達して、宇宙にまで人類が進出しようとしているのに、人類全体として全然幸福にならない。幸せは、科学技術の進歩によって、すぐ目の前にありそうなのに、掴めそうで掴めない。いつも逃げ水のようにするっと私たちの手のうちからすり抜けていってしまう。

それはなぜなのか。

資本主義というシステムそのものに原因が内在しているのではないか。資本主義ってなんですか。資本、つまりお金、というか元手を投資して、利益を上げるシステムですよね。そして利益が上がったら、みんなで分配してみんな幸せ。ならばいいんですけど、残念ながらそうはならない。せっかく利益が上がったのに、その利益もろとも全部次の投資につぎ込んじゃう。そしてまた利益が上がりますね。そうしたら、またまた儲かった利益もろとも、もっと利益を上げるために全部次の投資につぎ込んじゃう。どこかで、「もうこれくらいでいいや」って感じで利益を分配できればいいんですけど、欲望に終わりがないのと同じく、この利潤と投資のサイクルには永遠に終わりがない。「もうこれくらいで満足だ」とは決してならないのです。まさに「足るを知らない」。まあ、少しは株主配当や、社員の給料が上がるってことで利益の分配はあるでしょうね。まったく利潤の恩恵がないとは言わない。しかし、資本主義では「資本の増大」が第一目的となってしまう。人間の幸福は二の次なのです。きっと資本の奴ら、こう考えてますよ、

「人間は生かさぬように、殺さぬように」

って。どこかで聞いた言葉ですね。徳川家康が言った「百姓は生かさぬように、殺さぬように」ってやつと同じ。支配者が被支配階級に対して抱いている本音です。そして現代社会では支配者は「お金」そのもので、被支配者は「人間」。

さっき僕は「資本の奴ら」て言いましたが、「資本家の奴ら」とは言いませんでした。それは、本当の敵は「お金」そのものだと思っているからです。資本家にしろ株主にしろ、かれらも人間。そしてかれらもお金の虜になって、お金中毒となり、お金に魂を売って、お金に仕え、お金に支配され、お金の奴隷となっている犠牲者だと思うのです。今は経営者だって雇われていて短期間で利益を上げなければクビにされてしまう。そしてクビにする側の株主は株が上がることしか考えていない。社会貢献とか、人間の幸福とか、そんな野暮なことは考えたこともないし、お金のしもべだからもう考えられない。そんな社会システムで、どうやってわたしたちが幸福になれますか。

だからマルクスの「全国の労働者よ、団結せよ!」ではなく

「全人類よ、団結せよ!」

そして、そのお金が人間を支配する社会体制への抵抗の拠点となるのがブッダの説く

「少欲知足」

だと思うのです。そしてその「少欲知足」はブッダの教えの基本だと思うんですね。つまり原始仏典から来ると。だからあえて僕はここで「原始仏典」(阿含経典)を押したいわけです。まだまだ考えたいことはありますが、今日はこの辺にしておきます。

愛と慈悲の導くままに


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