慈悲の光
自分で作った「仏教伝来Ⅱ」のYoutubeを見て、今更思ったのですが、こんな歌作ってるから、仏典や聖典のどこを読んでも
「私はお前を救う」
と書いてある、となってしまったんだな。だって、いきなり大音量で
「救い給え~♪」
ですからね。ほんまぶしつけでうるさいわい。「まにまに」の時もそうでしたが、懲りずにまたやってしまったのです。観音様も迷惑だったに違いありません。
「うるさいわい、わしは耳がいいんじゃ。そんなに大声で歌わなくても聞こえてるっちゅうに」
そうでした。観音様は地獄耳で、それはもう、声に出さなくても念じるだけで私たちを危機から救ってくださるのです。
念彼観音力
ということで、これはほとんど仏罰でしょうか、「救い給え~♪」の答えとして、仏典の、聖典の、どこを見ても
「私はお前を救う」
としか読めなくなってしまった。ちょっと困るんですけど、これじゃあ。教義のテストとかあったら、
「それは、仏は衆生を救う、という意味であります!」
「そこも、仏は衆生を救う、という意味であります!」
「どこもかしこも、仏は衆生を救う、という意味であります!」
「結局、どこを読んでも、仏は衆生を救う、としか書いてないのであります!」
あ~ダメだ~、0点だ~、失格だ~。
観音さん、おちょくってんのかな、僕はからかわれてる?
「お前が、救い給え~♪とか言うから、その報いじゃろうが」
そうでした。確かに
「私はお前を救う」
は答えになってます。そういえば、歌ではそのあと「慈しみ給え~♪我が子らを♪」と来ますが、「我が子ら」とは仏の子らという意味です。そしてわたしたちは一人残らず仏の種を、慈悲の種を、すなわち仏性を持っているので、仏の子らとはわたしたちすべてです。だから「救い給え~♪」といってすべての人が救われるのを祈っています。だから
「私はお前を救う」
の「お前」とは僕のことであると同時にあなたのことであります。そして「私」とは観音菩薩ですが、観音はわたしたちを救うために仏が化身となって現れるので、そのまま仏ですね。仏の慈悲が観音となって現れると。とにかく、
「私はお前を救う」
と読めたとき、慈悲の光が見えるんですよ。もうまぶしくてしょうがない。その光に打ち倒される感じ。白い光ですね。
今日はこの辺でやめときます。
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