輪廻について(2)
インドの社会事情を考慮すれば、輪廻の思想が生まれた理由も分かる気がしますね。自分の置かれている状況が自分の努力ではどうにもならなく思える時、その原因を前世に求めるしか納得できる説明は見つからない、となるのではないでしょうか。
インドはカースト制度によって身分が固定された社会でした(そして多分今でもそうなのかな)。社会が固定的で現生の個人的努力ではもはや上昇の道は絶たれている、となると輪廻の思想にすがる以外に希望の道が閉ざされているとも言えます。現在自分が不幸な位置にいるのは前世での報いであると。そして、今生で善根を積めば来世では一段上の位置に上がることができる、と考えることによって、せめてもの希望をつないできたと。
さて、今はもう僕は輪廻を信じてないと言いましたが、過去の生と現在の生との間に全くつながりがないとは考えていません。それどころか、過去の生と現在の生は密接に結びついています。しかし特定の個としての過去の生が、現在の特定の個の生と結びついているとはとらえていません。
人間の個体の発生過程を見てみると、卵子が受精して受精卵となって胚が形成される過程において、単細胞から多細胞、魚類から両生類、そして哺乳類へと進化した痕跡が残っているのが見られるようです。これは人のDNAに生命の誕生から現在までの進化の歴史が記憶されているということではないでしょうか。ひとつ前の生どころか、生命38億年の生をずっと受け継いで今わたしたちは生きているということですね。個対個のつながりはなくとも、全体対個のつながりはあるのです。しかし、全体は個ひとつひとつの集まりなのですから、結局は個と個のつながりの無限の蓄積とも言える。そして次の世代へとその記憶はまた受け渡される。しかしその記憶は過去に受け継いだものとは全く同じではない。現在の生によって変化を受けた新たな記憶として次に受け渡される。過去の生と現在の生と未来の生との連綿としたつながり。これがすなわち前世と現世と来世のつながりであり、輪廻なのかなと思ったりしています。
ただ、このつながりは、DNAに限ったことではないと思います。人は生きている限り、一人ではありません。必ず周りの世界と交渉しています。人だけでなく、周囲の生物、そして周囲の環境に影響を及ぼしています。どんなに孤独に生きているつもりでも、かならず世界と交渉しているのです。社会のみならず、物質世界とも交渉しています。自分の存在そのものがどんな形であれ世界に影響を及ぼし、それが蓄積されて未来が形成されていくのです。また、過去の生命のあらゆる活動が世界に影響を及ぼした結果現在があるのですから、物質も含め宇宙の歴史の蓄積を私たちは今生きており、そしてその宇宙にわずかであっても未来永劫残る影響を与え、未来永劫にわたる蓄積となって、死んでいく。死んでも自分が残したこの宇宙に対する痕跡は永遠に消えない。一度与えた行為の結果が、また次の結果を生み、そしてそれがさらなる結果を生む。それは波動のように宇宙に伝わり取り返すことはできない。一度与えてしまった結果がさらに次の結果を生むとき、もはや自分の制御を離れてしまっています。
生命が生まれたのが38億年前だとして、宇宙誕生が138億年だとすると、生命は宇宙の100億年の結果の蓄積によって生まれたのでしょう。生命は宇宙の歴史の記憶としてここにある。つまり、わたしたち生のひとつひとつが生命の38億年の歴史のみならず、宇宙の138億年の歴史の記憶として今ここに存在するということです。
これが輪廻ということでしょうか。
さて、先ほど自分の為した行為の結果は周りの人々に伝わり、周囲の環境にも伝わり、さらには宇宙全体にも波動のように伝わってしまい、もはや取り返しがつかないと言いましたが、絶望するのはまだ早い。怒りや憎しみといった負の波動よりも、愛と慈悲の波動の方が圧倒的に強いからです。なんか波動って表現はニューエイジっぽくて避けたいですが、伝わっていくイメージは波の感じなんですよね。つまり怒りや憎しみに愛と慈悲は勝つのです。だから今からでも遅くはないのです。もう遅すぎるということはないのです。
そうそう、前回の観音は縦長だったので携帯の待ち受けにぴったりでしたが、横長のもAIに作ってもらいました。こちらもス・テ・キ。仏教伝来Ⅱのやつですけど。こっちの方を僕はPCの壁紙にしています。この両方で、スマホでもPCでも観音菩薩が守ってくれます。もう火の中水の中どころか、サイバー空間の中でさえ、あなたの危機を救って下さること間違いなしです。
愛と慈悲の導くままに
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