嫉妬について(2)

 前回は嫉妬について考えましたが、まだ言い尽くしてないことがあるなあと気付いたのでその続きを書きます。

相手に嫉妬する場合、役割が別々ならば脳の細胞と足の細胞のたとえで行けると思いますが、同じ役割の場合はどうなのか。

つまり、お互いが競争関係にある場合ですね。

そこには一握りの勝者と莫大な数の敗者がいる。

その目指す道が魅力的であればあるほど、死屍累々たる敗者がいるわけです。

しかし、競争によってお互いがしのぎを削り合うわけですから、全体のレベルは必然的に上がりますね。そうするとその座を射止めた勝者のレベルも当然上がる。そしてその勝者が社会で役割を果たすなら、社会の貢献度も当然上がる。

つまり、競争によって人類の全体としてのパフォーマンスは向上するわけです。

そして、その死屍累々たる敗者も、競争を通じて勝者のレベルを間接的に上げているわけですから、人類全体のパフォーマンスの向上に結果的に寄与していることになる。だから、やってきたことは決して無駄ではない。

勝者は敗者を含めたプレーヤー全体を代表してそこにいる。

どうやら、全体のパフォーマンスを高めるための手段として生命は競争というシステムを採用しているみたい。そもそも私たちが生まれるにあたってもそうじゃない?精子が卵子にたどり着く可能性って、何千万から何億分の一ですよ。一回の射精で放出される精子の数がそうだから。競争倍率何千万倍から何億倍。じゃあ、勝った精子くんはスーパーヒーローだな。

ということで、今回はあまり慰めにはならなかったかもしれないけど、夢破れても他者の夢の実現とそのパフォーマンスの向上、ひいては人類全体のパフォーマンスの向上に地味に貢献してたのも事実なのでした。

でも、できれば勝者になりたかったなあ。そりゃーね。

で、死屍累々たる敗者はどうすればいいのか?

潔く別の道を歩もう!

ズコッ!夢をあきらめないで、とでも言うと思った?

しょうがないじゃん。いつまでも引きずっててもさ。実は「大きな命」のなかの小さな細胞として、果たすべき任務はいくらでもある。人の細胞の数って37兆個ですよ。そしてそのひとつひとつが全部果たすべき役割を持って任務を果たしている。だったら人類全体でも数十億しかいないんだから、いくらでも仕事はあるはずだよな。一見地味でスポットライトは浴びないかもしれないけど、実はとても重要で、これがなければ世の中回らないって仕事はいくらでもある。というか、仕事って名の付く限りはどんな仕事でも「これがなければ世の中回らない」ものばかりなのです。

結局「大きな命」に話が戻ってしまいました

愛と慈悲の導くままに



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