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君と何度も結婚したい!

結局のところ、ここで書いてあることは、「惚れっぽい奴が宗教s(複数形)に惚れたらどうなるか」っての話かな、と思います。 自分はどうやら惚れっぽい質(たち)らしく、女性をすぐに好きになっちゃう。そして、 「君と何度も結婚したい!」 とか、気が付いたら言ってしまっているわけです。もちろんそんなにうまくいくはずもなく、いつも振られるんですけど、惚れっぽい質が治るわけもなく、懲りずにそんなことを続けていると、いつかは引っ掛かるお馬鹿さんも出てきて・・・ こんな甲斐性のない男に引っ掛かるなんて本当におバカさんね さて、こんなバカな人生を送ってきた仏罰でしょうか神罰でしょうか、素敵な菩薩に会えばすぐに惚れ、素敵な仏に会えばすぐに惚れ、素敵な神の子(キリスト)に会えばすぐに惚れ、偉大な神(アッラー)に会えばこれまたコロっといってしまい、ラーマクリシュナにたどり着いたころには何が何だかわからない。 仏だか神だか知りませんが、惚れっぽい質の者がそんなのに会ったら忽ち惚れるに決まってるじゃないですか。神も仏も罪なお方。 でもねえ、一つ困ったことが・・・ みなさん、本当に嫉妬深いんですよね。両方好きになっていいよ、とかまず言わない。私だけを信じなさいって言うんですよね。という割には、言っていること、すごく似てるんですけど。聖典って、わたしたちへのラブレターなんですけど、その口説きの文句が本当にそっくりで、 「本当はみなさん、同一人物(ていうか同一存在)なんじゃないの」 ということで、勝手に納得、勝手に解決。 愛と慈悲の導くままに ←   →

イスラムの定義

 僕は仏教を信じ、キリスト教を信じながら、イスラムに今来ているわけですが、そんなんでいいのか、自分はイスラム教徒と言えるのか、マホメットに聞いたところ、 「どうしてもわしと意見が合わないなら、せめて神を信じるとだけ言ってくれ。神にすべてをお任せしたとだけ言ってくれ。」 と言う趣旨のことをコーランで言っていたと思います。僕は前言った通り、今は聖典を神様に封印されているので、正確にその個所を引用することはできませんが、もう最後は、神を信じさえすればよい、神にすべてをゆだねるというならそれでよい、と言うことだったと思います。 つまり、イスラムとは 「神を信じること」 であり、イスラム教徒とは 「神にすべてをゆだねた者」 である、というのが僕の個人的な解釈です。つまり、仏教とかキリスト教とかヒンズー教とかいう宗教の一つとしてイスラムがあるのではない。僕の中では神も仏も一つなので、仏を信じる、キリスト教でもユダヤ教でも神を信じる、つまり唯一絶対無二の全知全能の存在を信じるなら、それはイスラムと同義だということです。 つまり、イスラム教徒とは 人間の自由意志の上に神の意志を置く者 だと思います。だから僕は仏教を信じ、キリスト教を信じながら、イスラムでもある、と自分では思っているのですが、それでいいかどうかは、神の意思にゆだねます。自分が 「神にすべてをゆだねた者」 であることは、間違いないのですから。 愛と慈悲の導くままに ←   →