よりよく生きるための利他

 利他的行動について考えていたら、どんどん違う方向に行ってしまい戻れなくなりそうなので、ここらでまとめたいと思います。

前に利他を意識するのは自分がよりよく生きるためだと書いたのですが、社会人として生きる上で、二つの理由があります。

まず一つは、利他を意識することで喜びが倍になるということです。仕事をする目的はもちろん、

”食うため”

ですね。きれいごとなんか言っている暇はありません。そのためには金が要る。そしてその金を得るのがまず第一の喜び。

ところが、今の社会を見渡すと(昔もそうかもしれませんが)、仕事の喜びがそれだけで終わっている。給料がいいかどうか、どれだけ稼げるか、そればっかですね。

ところが、仕事と言うのは他者の利益になることをするわけです。そして、他者のニーズを満たしたとき、その他者が「ありがとう」といって報酬をくれるわけです。その「ありがとう」と言われたときの喜び。これが第二の喜び。

だから、利他を意識することで喜びは倍になる。当たり前の話です。そして、他者が「ありがとう」という度合いが深いほど、または頻度が多いほど、多くの仕事をしたことになり、報酬も増える。つまり、金を得るという第一の喜びも増えるわけです。

これも当然のことですね。何を今更って感じですが、でも、今の世の中、そんな初歩的なことを忘れてるような気がしてならないのは僕だけでしょうか。

逆に言うと、仕事をしていても、人の役に立っているという実感がないと、つまり人に「ありがとう」と言われる場が欠如すると、仕事の喜びは半減します。そして生きる喜びも半減。喜びの源泉が金しかない。こうなったら人は人としての魅力を失うでしょうね。金はあるけど魅力のない人生。たぶん、その金だって長続きしない。金の出どころは仕事における利他的行為にあるんだから。

そしてよりよく生きるために利他を意識するもう一つの理由は、上記のこととも関連しますが、

「悪に堕ちないため」

です。利他を忘れて金だけを得ようとすれば、他人をだましたり、他人から奪ったりするほうが手っ取り早い。こうして仕事も「悪徳商法」となり、悪に堕ちます。当然、他者に損害を与えるわけですから、他者から「ありがとう」と言われる喜びを失います。これって大損じゃないですか。人生の喜びの半分を失うんですよ。半分どころか、その喜びはずっと大きいかもしれない。もしかしたら、「生きがい」になるくらい大きいかもしれない。これさえあれば「食うため」の金くらい自然とついてくるくらい大切かもしれない。大切と言うか強力。利他は思いのほか力も持ってるんです。実は相手を支配するほどね。もうほとんど「愛」じゃん。だからってそれを知ってて狙うのは違うと思うけど。

で、「悪に堕ちる」と結局破滅が待っている。最初はうまくいくんですけどね。最初はうまくいっちゃうから、短慮な人はみんな飛びついちゃう。「今さえよければいい」「今楽しければそれでいい」型の人たちですね。

それに対して利他、つまり善は(もしかすると愛といってもいいかも)、最初は損のように見えるんですね。でも後で大きな実りが待っている。畑に種を蒔くようなもので、後で何百倍にもなって帰ってくる、とか誰か言ってたな。

今学校でも利他の喜びについて全然教えないですね。ボランティアは確かに一つの手段かもしれない。でも普段の日常生活でも利他の機会はいくらでもありますね。別に「自己犠牲」なんて大げさなものじゃなくていい。ちょっとした優しさ、ちょっとした親切で十分だと思う。

ということで、利他を意識するのは人のためじゃなくて、結局自己がよりよく生きるため、自分が幸せになるためなのでした。めでたし、めでたし。

愛と慈悲の導くままに


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