ノルマを課した者たちの運命

 ノルマの正体について、今回は具体例を挙げていきたいと思います。

まずは「売上ノルマ」でしょうね。いついつまでにいくら売れというやつ。これが達成できなければ”自爆営業”といって自腹で買うことになるか、相手に必要もないのに無理やり買わせる”押し売り”となるかでしょうね。押し売りとなれば相手が買うまで自宅に上がり込んで居座ったり、架空の定価をでっち上げて「今だけ半額!」とか言って安く見せかけたり、まだまだ在庫が山とあるのに「後残りわずかです!お早めに!」とか言って購入をせかしたり、とまあありとあらゆる嘘とでっち上げで買わせようとしますね。そのことについてはなんの良心の痛みもない。道徳がマヒするんですね。人が人でなくなる。人をだまさなければ渡世できないとは、悪者の仲間入りじゃないですか。悲しむべし。憐れむべし。この世に生まれた甲斐がない。ご愁傷さまです。

「経費削減ノルマ」っていうのもありそうですね。これも無理な要求をしてくるので、コンクリートを水で薄めたり、鉄筋の数を減らしたり、検査をごまかしたり、検査の数値を偽装したり、安全なんかガン無視ですね。で、世の中欠陥建設だらけとなり、地震が来てつぶれてバレる。だけじゃなくて人名も損なう。

これらは全部「金のため」だけど、公的機関でもノルマはありますね。たとえば警察のキップノルマみたいなやつ。交通違反で必ず何件検挙しろとかいって、わざと見えずらい一時停止の標識のそばに隠れていて捕まえたり、すいてる割には設定が低すぎる制限速度で普通に走ってても違反になるように仕向けてネズミ捕りをしたり。安全のために正しく取り締まった結果が検挙件数となって表れるのに、先に検挙件数がノルマとしてあったら原因と結果が逆でしょ。だから不条理な取り締まりをする。

ノルマの原因を全部金のせいにして「だから資本主義は悪い」とか言おうと思ってたんですけど、考えてみたら共産主義国でもノルマはあるね。「五か年計画」とかいって無理な数値目標を掲げて、それが達成できなかったら担当者は即”粛清”。だから数字だけは達成したように見せかけて、内実はインチキだらけで組織は疲弊しひずみが蓄積される。そしてついには体制崩壊。ソ連みたいにね。

そういえば宗教団体にだってノルマはある。「信者獲得数」とか「寄付金目標」とかいうやつ。だから勝手に知り合いとか親戚とか信者にされていたり、相手に弱みに付け込んで「罰が当たる」とかいって寄付を強要。信仰心がないからノルマを課すと前回書いておきながら、宗教団体にまでノルマがあるとは、人である指導者を神の立場に置いてるんですね。イスラムだったら絶対認められませんよ。これについては僕はイスラムの立場を支持します。

スポーツの世界にノルマがあったら大変だね。必ず勝つとか、あそこで必ずある球を投げるとか。それって「八百長」だよね。で、実際八百長問題はあったりする。

どっちにしたって、ノルマは悪の強力なインセンティブになるので犯罪として認識すべきだと思うんですけど。

思うに、仕事を割り当てること自体はここで問題にしている「ノルマ」とは言わない。仕事とは「業務」ですよね。警察だったら、犯罪を取り締まるのが「業務」。そして、犯人を何人検挙できたかは「業務の結果」。ビジネスならものを売るのは「業務」。そして、売り上げは「業務の結果」。

スポーツならプレイするのは「業務」。勝つか負けるかは「業務の結果」。宗教では布教するのは「業務」。新たに増えた信者の数は「業務の結果」。

ノルマは通常の「業務」と「業務の結果」を混同し、結果を確定したものとして先取りして人に課すところに問題があるんじゃないですか。

そして、やっぱり「結果」というのは未来に属するものなんですよね。人は今だけを考えて生きるわけにはいかず、必ず未来の目標に向かって生きようとするんだけど、その目標が神の御心に叶うかどうか、天道に叶うかどうかは、わからないわけです。でも、神の御心に叶うと信じて努力するわけです。しかし、それが報われるかどうかは、あくまで神に決定権がある。人じゃないんです。だから謙虚になる。だからノルマは課さない。目標については「インシャーアッラー(神が望むなら)」のカッコつき、条件付きなのです。だから目標が達成されなかったとしても全責任を人に負わせたりしない。それは神に対する越権行為に当たる。

ところが、神を信じないと、未来に関する決定権も人にあると思うから、自らを神の立場に置き、ノルマを課す。共産主義国の指導者たちが、自らを神のように全能の立場に置き、ノルマを課すのもそのためですね。そしてノルマを達成できない者を無慈悲に粛正する。

そしてどうなったか。自らを神の立場に置き、不遜にもノルマを課した者たちの「結果」はどうだったか。

どれだけ彼らが破滅したかは、歴史を見れば疑いようがないではありませんか。そして今も破滅する者が後を絶たない。

これで過去と現在についてはわかりましたね。

さーて、これから先も、つまり未来においても、ノルマを課した者たちの運命をじっくり拝見するといたしましょうか。これによって、未来に決定権があるのはどっちなのか、神なのか、人なのかがわかるというものです。もうわかってると思うんですけど。しまった、決定権があるのは神でした。僕には決定できません。でも予想するのは勝手ですよね。

愛と慈悲の導くままに

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