人はみんな「裸の王様」

 人ってみんな裸の王様なんだなあってやっと最近気づきました。もちろん僕も含めて私たち全員。

だって、私たちって今この瞬間、自分のこと見えてないじゃん。他人のことは見えてるけど。これってすべての人に当てはまるんですよね。だから、人間はデフォルトで裸の王様。

他人は全員自分のことを見ていて、自分だけが見えてない。鏡に映さない限り、自分で自分を見ることはできない。

有名人でも「痛いなあ」って思う時いっぱいありますよね。でも、有名人も人間なんだから、痛いところの一つや二つはあって当然。で、彼らは「有名」なので、いつも多くの人に見られてるから欠点も目立っちゃう。我々凡人はもっともっと痛いとこだらけなんでしょうね。ただ一般人だから別に注目されてないだけ。でも周りの人には見えてるんですね。で、自分だけ見えてない。

人はいちいち他人と比べて、自分は上だとかあいつは下だとか思ってるけど、どんなに下だと思っている相手でも、一つだけ自分よりアドバンテージがある。

相手は私以上に私のことが見えてるということ。

人って他人のことは良くわかるんですよね。ちょっと軽く見てる相手であっても、話してみるとなぜか他人のことについては的を得たこと言うんです。

「あいつって✕✕✕だよな」

確かに。分かってんじゃん。どんなにつまらない相手でも、人のことになるとちゃんと見ていて分かっている。恐るべし、畏るべし。

だから謙虚にならないといけませんね。相手がつまらない人間なんて侮ってたら痛い目に合う。そして、自分の痛いところって、自分だけが見えてないんですよね。周りの人は全員知っているのに。だってそうでしょ。

「あいつって✕✕✕だよな」

って人のことディスりながら、本人の前では絶対に言わない。人の残念なところって、人の前では決して言わない。それを言ったら侮辱になるからね。つまり、自分の欠点を他人は全員知っていて、自分だけが知らない、というのが人の自然状態なのです。

みんなみーんな裸の王様

こんなに恐ろしいことってありますか。いつも自分のいないところで、自分の残念なところを噂されてるんですよ。だってそうでしょ。自分だってその人のいないところで、他人の噂ばっかしてんじゃん。知らぬは亭主ばかりなり。知らぬが仏。

これって、どんな偉い人であっても逃れられない宿命なんですよ。どっかの大統領とかどっかの社長であってもね。みんな思ってるでしょ。ちょっと痛すぎだよなあって。でも力と金を持ってるから本人の前では言わない。力と金を持ってなくても言わないんだから、力と金はこの場合関係ないか。

ああ裸の王様

権力持ってるから余計に王様って言葉が似合っちゃう。おっと、横道にそれました。今日は権力者のことを言いたいんじゃなくて、わたしたちひとりひとりのことについて言いたいのです。

「わたしはあなた方を軽蔑したり致しません。あなた方はみな仏になられるでしょうから」

と言い続けた不軽菩薩にあやかって

「わたしはあなた方を軽蔑したり致しません。あなた方はみな僕のことが僕より見えてるでしょうから」

と今日は言いたいですね。

そして、人が決して言わない自分の痛いところをあえて言ってくれる人がいたとしたら、その人実はほとけじゃないですか。それにしても腹の立つ仏だなー。でも本当は感謝しなくちゃいけない。

そのつづきはまた次回。

愛と慈悲の導くままに

←

コメント

このブログの人気の投稿

宗教は人類の生存のための最適解

宗教の二つの定理から導き出されること

聖典を封印されてしまった