生贄について
前回生贄として初子を神に差し出すことを命じた厳しい神の掟について考えたのですが、そこから「生贄」について考えたことを書こうと思います。 宗教では「生贄」を神にささげる儀式がありますよね。それを聞くたびに 「あの慈悲深い神様が、そんなことお求めになるかな?」 っていつも疑問に思ってたんですけど、聖書である人物が初子を神に差し出そうとしたその瞬間に "Stop!!" と神がお止めになったシーンを思い出して、 「ああ、やっぱり神は慈悲深かった」 と安堵しました。本当は生贄なんて欲してないんですよ、神は。 神は、人間を試そうとして、人が一番大切なものを自分に差し出せと命じているのですが、そもそも、この世のあらゆるものは、神のものなのです。存在そのものが神から来るのですから、あらゆるものは存在と同時に神に捧げられているのです。だから、何を今更神に捧げるというのか。 とはいっても、神に感謝するときに、手ぶらでは格好がつかない、というのがわれわれ凡人の考え。だから、何か自分にとって大切なものを「生贄」として捧げないと落ち着かないのです。 でも、本当は神様はそれはそれは慈悲深いお方なので、動物であれ人間であれ、すべての命の幸せを日夜考えておられます。その大切な命を殺して、血を流して、神に捧げるなんて・・・ "Stop!!" 当然、その瞬間、その直前に、神の制止の叫びが聞こえるはずです。もし、聞こえなければ、それは神を本当には信じてないのです。愛そのものであり、慈悲そのものであるところの神を、信じてないのです。信仰心が足りないのです。 神の愛を信じてないんですね。 だから、もう生贄の儀式はいらないですね。その代わり 「私たちを含め、この世のすべては最初からあなたに捧げられています。だから御心のままにお命じ下さい」 と唱えればいい。 愛と慈悲の導くままに