稀代の名悪役”イブリース”

 結局悪魔って何なんですかね?

たしかイスラムではイブリースだったと思います。こいつも神の被造物の一員で、天使だったと思いますが、人間を神に背かせることができると神に言ったために、

「それならやってみろ」

って神に言われて、人の心の中に悪魔として入り込んだという筋書きだったと思います。キリスト教ではサタンで、これもまた元天使ですね。こちらは堕天使か。

つまり、イブリースは神の承認のもとにわたしたちの心の中に悪魔として入り込んだということです。だいたい、たかが一天使の分際で、神に勝てるわけないじゃありませんか。格が違いすぎますよ。最初から勝負になってません。そんなことはイブリースも百も承知だったはずです。ということは、イブリースは

「悪役を敢えて買って出た」

ということになります。一番損な役回りを、一番の嫌われ役を、最後にはいつも見事に正義によって、すなわち愛によって、やられる役を、あえて買って出たのです。こいつがいないと、神の栄光が引き立たないからです。

それにしても、この悪役イブリース、最近ちょっと頑張り過ぎじゃね?やり過ぎ感がないこともないですが、これは彼が稀代の名悪役ってことか?

そして彼は自分の役目を今でも見事に演じ続けているために、わたしたちの中に誰一人として100%の善人はいない、ということになるのです。

ではなぜいったい神はイブリースを悪役に抜擢しなければならなかったのか。

わたしたち人間の認識の仕方のせいでしょうか。

光と闇、善と悪、生と死

私たちは対立概念がないと、物事を認識できないらしい。だから、神を認識するためには、その対立概念として悪魔を立てる必要がある。悪役がいなければヒーローもいない。

人間の性(さが)って、ちょっと悲しいですね。

どうしてこうなのか?

もしかしたら、脳内の神経回路の仕組みから来るのかな?神経細胞が受け取る情報って、結局電気信号だよね。電気信号って、オンかオフだよね。オンとオフの対立概念。または0と1の対立概念。

人間の認識の仕方が、オンとオフから成り立っている。ずーっとオンだったり、ずーっとオフだったら認識できない。

すべては神から来るのだけれど、神がすべてだと、そのままだと人間は神がわからん。

だとしてもこの稀代の名悪役、もうちょっと手加減してもらいたいものです。

愛と慈悲の導くままに


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