多産多死から少産少死への移行すると性欲も退化するのか?

 前回は「性欲は恋、結婚、そして命につながる限りにおいて神聖である」と言いましたが、それをどこまで厳密にとらえるかは、宗教や宗派によって振れ幅があるでしょう。一番厳しくとれば避妊も赦されないとなり、実際そう説く宗派もあるようです。

確かに動物は避妊なんてしませんが、それはたくさん子が生まれても、多くが食べられてしまい、個体数のバランスは自然と取られるからです。つまり、多産多死型ですね。

人間もつい最近までは多産多死型の社会でした。一人の母親が子供を5人、6人産むのも普通だった。それだけの生殖能力を維持するには、強い性欲も必要だった、とも言えます。

ところが、現代は少産少死型の社会に移行してきました。科学の発達とともに衛生環境も改善し、乳幼児死亡率も低下する。しかし、性欲は以前のままだとすると多産少子型になりますね。当然人口爆発となり、持続不可能な社会となる。

少産少死型社会では、性欲は以前のように強い必要はないかもしれない。でも、あまりにも多産多死型から少産少死型社会への移行が急だったため、人間の身体がそれに適応するのについていけない。身体の進化には時間がかかりますからね。

なので、人間はいつまでも性欲は強いままで、今困っている、となりますが、そんなのは僕だけかもしれない。というか、僕の世代だけかも。僕の世代ははちょうど社会が多産多死から少産少死への移行期の最後の世代だったので、多産多死型の性質を引きずっているせいか、自分は惚れっぽいですが(同じ世代間でも自分は惚れっぽい気もするけど)、今の若い世代を見ると、あんまりガツガツしてないような。草食系?っていうんですか。そういうのが増えている感じ。少産少死型社会に体が適応してしまってるんじゃないですか。それも意外と早く。

聞くところによると、男性の精子の数自体が減っているらしい。性欲だけじゃなく、生殖能力自体が退化していってる可能性もありますね。夫婦間でもセックスレスが増えてるみたいだし。

これがいいかどうかはわかりません。言えることは、あらゆる生物は、環境の変化に対して、適応していくしか生存の道はないということです。もし人類が人口爆発による破滅を避け、少産少死型社会への移行が生き残るために避けられないとするなら、身体機能もそれに適応せざるを得ないということです。

ただし、夫婦間の愛のきずなを深めるために、身体的コミュニケーションの手段として性欲が有効だとしたら、それが命の再生産につながらなくても、神さまもお許しになられるでしょう。

また、もう体自体が少産少死型に適応してしまい、「もうやりたくない」となっていて、それでも夫婦の絆がはぐくまれるなら、それも神の御心でしょう。

そのどっちになるかは僕にはわかりません。すべては神の御心のままに。

結局、男女の仲は

「なるようにしかならん」

これ以上議論するのは野暮というもの。じゃあ、今日はこの辺で。

愛と慈悲の導くままに


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