すべての人は救われるのか~ラーマクリシュナ編~
すべての人は救われるのか? 最後はラーマクリシュナ(たぶんヒンズー教?)に聞いてみましょう。 と言っておきながら、ラーマクリシュナに直接聞くの、忘れました。 仏教→キリスト教→イスラム教と来て最後にラーマクリシュナにたどり着いたころには、もうそんなの聞くまでもないことのように思われたのです。 最後は”愛の洪水” 「宇宙は神の子宮の中にある」 そう言っていたと思います。わたしたちは皆神の子宮の中にいるのですから、わたしたちが救われないなどということがあるでしょうか。考えられません。 わたしたちは皆神の愛の羊水の中にいるのです。 もうこの辺でいいかな。 「すべての人は救われる」などと言ってしまったら、ビジネスとしての宗教にとっては商売あがったりです。「あなたはこのままでは救われない」というからこそ、「ではどうすれば救われるのですか」と不安にさせて、そこですかざず「悪霊を払う」とかなんとか言って「お布施を要求」つまりは 「金を出せ」 と言って、無垢な人々からカネを巻き上げようとするのがビジネス宗教の手口です。 だから、僕がここでひたすらに「すべての人は救われる」と言うからには、ビジネスとしては成り立ちませんね。べつにいいです、それで。自分が生活していく分くらい、他の仕事で稼げますから。 ただし、最後には救われるかもしれないけど、今すぐかどうかはわからないな。だからといって、「今すぐ救われたければ金を出せ」などと言ってビジネスにしようなんて真似はしませんからご安心ください。 最後にはすべての人が救われるのだが、一旦は地獄を見るかもしれない。 実は僕はそう思っています。そして、その「地獄を見る」ことも、神の御計らいなのかなとも思っています。なぜ、地獄を見なければならないのか。それについては、次回考えたいと思います。 愛と慈悲の導くままに