霊性について

 自分が「ネトゲ廃人」になったからには、ゲーム中毒者の気持ちが分かる、ひいては中毒者全般の精神状態も今なら我が身のように分かる。

ってことは、人類がおよそ3000年前から「お金中毒」になって、魂をカネという悪魔に売り渡してしまって今に至る精神状態も分かる。

これは前にもポストしたことにつながってしまいますし、これについて考えるとまたいくらでも書き続けたくなりますし、それが自分の使命かなとも思うのですが、まずは自分が通ってきた宗教の道について書いている途中だったと思いますので、ちょっとそれは置いておこうかなと。

どこまで行きましたっけ。どうしてもわき道にそれてしまい、どこまで行ったかも忘れてしまいました。確かまず仏教に入って、親鸞に救われて、日蓮に慈悲の光を見たとこまで行ったかな。とにかく、仏典のどこを読んでも「私はお前を救う」と読めてしまい、慈悲の光が見えてしょうがないと書いたかと思います。

その慈悲の光ですが、白い光なのですが、視覚的なものではないですね。霊的なものです。霊的な光。

多分、神が、というかこの場合は仏が、僕を憐れんでくださり、信仰心を授けてくださったのですが、これが霊性を開花させてくださった。霊的な目を開かせてくださったのですね。

この「霊性」ってやつ、理性とはまた別のもの。また芸術的な感性ともまた別かな。こっちは通ずるところもある気がするのですが。

この「霊性」については、禅僧の鈴木大拙がその著「日本的霊性」の中で述べていますが、「これが分からないと宗教は話がとんと通じない」というもので、分かる人にはすぐ分かるのですが、分からない人には本当に「話がとんと通じない」から困っているのです。

じゃあ、霊性って何か特別な能力なのかというと、そうではなくて、「神を信じる心」「ほとけを信じる心」なのですから、わたしたちは無垢な子供の時は誰でも持っていたものです。嘘だと思うなら、試しに幼い子供に

「神様(仏様)にお願いしてみなさい」

って聞いてみてください。みんな素直に

「はい」

って言いますよ。その時

「神様(仏様)なんかいるもんか」

とかこましゃくれたことを言う子供はまずいませんよ。まわりの大人はだれも神様(仏様)のことなんて教えてないのにね。でも、少し大人になってきて少々知恵を付けてしまうと、その浅知恵だか猿知恵だかで疑ってかかるようになり、それとともに霊性も曇ってしまいます。

また、今でも世界中に自分は仏教徒だとかキリスト教徒だとかイスラム教徒だとかヒンズー教徒だとか言って宗教を信仰しているひとは何十億人といるわけですから、その人々も普通に「霊性」を持っています。本当に信じているなら、ですけど。

つまり、すべての人に本来「霊性」は備わっているのです。

そういう自分も少年期や青年期のころは霊性は曇ってましたね。そのころ聖書も読んだはずですが、全然「愛の光」が見えなかったもん。霊的に読めてなかったのです。

ということで、次はキリスト教に行っちゃえと。

愛と慈悲の導くままに


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