不軽菩薩

 「すべての人は救われる」

これって法華経に出てくる不軽菩薩がすでに

「わたしはあなた方を軽んじたり致しません。あなた方はみな仏になるでしょう」

と言いふらしたのと同じかなと思うところまで行きましたね。僕が「すべての人は救われる」というのと、不軽菩薩が「すべての人は仏になる」と言うのとは同じじゃないですか。つまり僕がやってるのは不軽菩薩の二番煎じってことか。

光栄なことです。

この菩薩、常に「わたしはあなた方を軽んじたりは致しません。あなた方はみな仏になるでしょう」と言いふらすものだから、みんなにウザがられて、しまいには石を投げられたり、棒でぶたれたりして迫害されます。で、この菩薩、どうしたかというと

「走って逃げてこれを避け、遠くから、『わたしはあなた方を軽んじたりは致しません。あなた方はみな仏になるでしょう』と叫んだ」

かっこわる。堂々と立ち向かうのではなく、敵に後ろを見せて卑怯にも走って逃げ、遠くから負け犬の遠吠えみたいに、また懲りずに捨て台詞を吐いている。

「すべての人は救われる」

と。つまり、

「それでもあなたは救われる」

と。何か俺のことを茶化して言ってんのか。確かこうだったよな。正確に引用すればいいんだけど、だからできないんですよ、それが。ほとけさんに仏典を封印されちゃって開けない。手を伸ばせば届くところ、左斜め前方数十センチのところに法華経あるんですけど。

とにかく、僕も攻撃されたら逃げて逃げて逃げまくって、遠くから

「それでもあなたは救われる」

って呪いの言葉を叫んでやろう。じゃなかった、祝福の言葉を。

どんなにかっこ悪くてもいいから、逃げて逃げて逃げまくって生き延びてやろう。せっかく神から頂いた大切な命だから、ギリギリ最後の瞬間まであがいて全うするぞ。そして、

「すべての人は救われる」

「それでもあなたは救われる」

と捨て台詞を遠くから投げつけてやろう。

これが草食動物、弱者の生き方かな。ウサギですね。逃げ足だけは早い。僕は喧嘩弱いからね。ウサギがライオンに向かっていったらただのバカうさぎでしょ。でも、弱いからって、そう簡単に食われてたまるか。

神はちゃんと弱者には弱者なりに生き延びる手段を与えて下さってるんですよ。

でも、「すべての人は救われる」からって、何なの?人生何が変わるっていうのさ。

それに、仏教の次はキリスト教に行くって言っときながら、ぜんぜん行けてないじゃん。

ああ、まだまだ言うべきこと全然言えてないじゃん。上の二つについて、どっちから先に行くべきか。

それは次回その場で考えます。

愛と慈悲の導くままに


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