宗教の二つの定理

 すべての聖典を要約すると

1. 神は(仏は)わたしたちすべてを愛してくださっている

2. わたしたちすべてを愛してくださっているその神(仏)は唯一全知全能である

の二つの定理に集約されると思うのです。

まずはその1ですが、もし神様が(仏さまが)わたしたちを愛してくださらなければ、わたしたちはもう一巻の終わりです。絶望です。いくら神が全知全能であろうと、その神がわたしたちを愛していないのなら、わたしたちにとって神は何の意味もありません。神が私たちを愛してくださるからこそ、わたしたちにとって神は意味があるのです。

次にその2ですが、いくら神がわたしたちを愛してくれても、全知全能でなければこれまた意味がありません。神が全知全能でなければ、「こいつだけは神でも救えない」という事態が想定されます。そして「こいつだけは無理」という例外規定は常に拡大解釈されて、神の愛は骨抜きにされ、「こいつも、こいつも救えない」となり、ついには「みんな救われない」となる。

「こいつだけは救えない」

という時、その「こいつ」に自分が含まれる。「こいつ」とは自分のことである。

阿弥陀仏が菩薩のとき「すべての衆生が救われるまで自分は仏にならない」と誓ったのは、そういうことでしょう。

自分たちだけが救われて天国に行き、他の者たちが裁かれて地獄に落ちるのを良しとするのは、

「俺たちだけがリッチになりさえすれば、他の奴らが貧乏になろうとわしゃ知らん」

と言うのとどこが違う?

「俺たちファースト」ですか。

そりゃみんな自分がかわいいですが、それを堂々と公言するのって憚られませんか?じゃあ自分は他者に対して何をしたって言われれば大したことは何もしてないのですが、だからといって、開き直って自分ファーストを正当化しようとまではさすがに思いません。

なんか話がそれましたが、神が全知全能でなければ、愛があっても困ります。そして、神が全知全能なら、わたしたちひとりひとりを救うことももちろん可能なわけです。

「救えるのに救わない」

そんなわけないじゃん。

地獄に落ちるべき衆生を救うのが神の役目でしょう。

「そんなことお前に言われなくてもわかっておるわい」

そうでした。頼りにしておりますぞ、神様、ほとけさま。

なんか今日は変な終わり方になってしもうた。

愛と慈悲の導くままに

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