慈悲の祈りⅠ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 6月 09, 2025 神が、仏が、どんなにわたしたちを愛してくださっているかを思う時、自然と感謝の念が湧いてきて、神を、仏を、賛美する歌を歌いたくなります。ということで、即興で歌った讃美歌です。ただ、僕はプロの歌手ではないので、それをそのままお聴かせするのも憚られますので、ジュリアード出のバイオリニストに弾いてもらいました。愛と慈悲の導くままに リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
せめてSNSくらいキラキラさせてあげて 2月 16, 2025 前回はまたもや自分の無様な姿を晒してしまい、後悔しています。なんか書けば書くほどボロが出るような・・・。宗教のブログだからといって聖人ぶったとしても、どうせ化けの皮は剝がれるでしょ。だいたい神には、仏には、全部バレてますから意味ないし。まあ、ありにままでいくしかないか。 ところで、みんなSNS上やブログではキラキラしてますよね。それを見て自分だけ劣等感に苛まれる人もいるかもしれませんが、意外とそんな必要はないのでは、と最近思います。 僕の友人にもSNS上ではキラキラしている人がいたのですが、久しぶりに同窓会で会ってみると、ボソッと悩みを打ち明けるんですね。それが結構深刻で、 「えっ、そーなん?そりゃー書けんは」(ここでもね) ってなるのです。SNSではキラキラしていても、実は深い悩みを抱えていたりする。仕事とか家庭とかいろいろありますよね。それでも投稿し続けていると、とうとう隠し切れなくなって、事後報告って感じでカミングアウトしたりするのをよく見ませんか?アメブロとかで。 「じゃあ、あの時のキラキラは何だったのよ!」 ってなりますよね。 というより 「あなたもいろいろあったのね」 人には必ず光と闇がある そして闇があるからこそ、せめてSNS上ではキラキラしていたいと思うのです。 それでいいじゃないですか。 で、闇があるから宗教があるのです。 そのために神は、すなわち仏は、いつでもスタンバっているのです。 呼べば必ず来ます 本当は呼ばれなくても来なきゃいけないんですけど・・・ 続きを読む
最初は子猫のように 3月 04, 2025 ああ、昨日は怖かった。 実際電卓叩いてみて、恐怖で震えた。 絶叫しそうになりましたよ。100年で13780倍! 利子というものは恐ろしいものでした。 年利10%と聞けば 「大したことないじゃん!」 と思うでしょう。最初は子猫のようにかわいい姿で近づいてあなたを油断させ、気が付くとどんどん増長して手が付けられなくなり、ついにはあなたを飲み込み、あなたの家族や親戚や友人をも飲み込む。連帯保証人としてね。(ああ、「連帯保証人」!誰が考えたかこの悪魔の制度!これで幾多の善人が他人の借金に巻き込まれ破滅させられたことか!)そして国をも飲み込み、世界をも飲み込み、地球をも飲み込み、ついには全宇宙をも飲み込む。 2倍になってからは早かったですね。8年で2倍だから100年では 8:2=100:25 うーん、25倍か。ではなかった。実際は13780倍!指数関数をなめてはいけません。指数関数的増加は人間の感覚をはるかに超えた増殖力を持つのです。(だから借金もなめてはいけない) 誰の仕業なのか? こんな魔力をカネに与えてしまったのは。 そしていつから? 少なくとも2500年は遡りますね。3000年くらい?では、そのときからカネは増え続けてるってことか?やってみます?1.1の3000乗。もう電卓では無理なので、ChatGPTにやってもらおう。えーと・・・ 1.1 3000 1.1^{3000} は約 1.51 × 10 124 1.51 \times 10^{124} です。 ん?ダメだ、理解できない。これってもしかして 15100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000倍ってこと? (借金1円返し忘れて死んで、3000年後に最後の審判で復活したらこれ払えってか?) もうとうにこの世界を飲み込んでいる。 カネがこの宇宙を完全に覆い尽くしている 「主導権を金から人間の手にもう一度取り戻す」 僕がやろうとしていることは、負け戦なんですかね? 勝ち目ない? 敵は手ごわい ていうかほぼ無敵? でもやめるわけにはいかないんですよ 愛と慈悲の導くままに 続きを読む
「少欲知足」のすすめ 2月 27, 2025 さて、仏典が多すぎることから仏教の中でも様々な宗派が生まれて統制が取れないのが現在の仏教の現状かもしれませんが、ブッダの教えの基本はやはり原始仏典(阿含経典)だと思うんですね。もともと僕は親鸞に救われたので自分は「浄土真宗系」だと勝手に思っているのですが。それにもかかわらず、何でここであえて「原始仏典」(阿含経典)を押すのかというと、またここでお金の話に戻らなければならないからです。 現代社会は、というよりはるか紀元前の昔から、人間は自ら生み出した「お金」に夢中になって、中毒になって、支配され、その結果どんどん不幸になっていった。そんなわたしたちを見るに見かねた神が、仏が、本当に進むべき幸福への道を示してくださった。だからそのころ、本格的な宗教が世界各地で同時的に起こったのではないか、と推測してみたのですが、その「お金」に対して主導権を人間の側に取り戻すための教え、すなわち最強の武器の一つが仏教の説く 「少欲知足」(欲は少なく足るを知る) だからです。ここで最強の教えのひとつと言ったからには、まだ他にもあるのかとお思いかもしれませんが、はい、あります。それはイスラム教のコーランが説く 「利子を取ってはならない」 です。それについてはまた別の機会に考えたいと思いますが、現代の資本主義社会においては、お金が人間を支配していますね。人間はお金中毒にさせられていますから、人間の心まで、人間の魂までもがお金に支配されています。その「お金」の目的はなにか。 「増えること」 です。 「増殖すること」 です。そうです、カネって野郎は増えたいのです。どうしても増えたくて増えたくてしょうがないのです。その時、人間が幸せになろうが不幸になろうが、そんなことは関係ない。ただ、お金クンは増えたいのです。ここで僕は「お金クン」とかいってお金を擬人化していますが、これは擬人化とかいう生易しいものではなく、実際にお金は生きていて、意思を持っている。お金は生命を持ってしまっていると考えています。その「お金」ってやつに生命を吹き込んでしまったのは人間なんですけど。人間の「欲望」が「お金」に投影されて、ついには「生命」となって自ら意思をも持つようになってしまった。そして自由自在に人間を操っている。そしてその目指すところは 「自ら増えること」 考えても見てください。生命って何ですか。生命の基本的... 続きを読む
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