悪人正機説
自分の中にいる悪魔
こいつをいったいどうしたものか
自力ではもうどうしようもない。負けました。無理です。降参です。
無条件降伏
後は阿弥陀仏にすがるしかない
そしてそんなあわれなわたしたちを救って下さるために、阿弥陀仏はご自分が仏になるのを犠牲にされた。
これが親鸞の説いた他力本願の教えですが、なんかルターの説教を聞いているような。
自分の中にいる悪魔
こいつをいったいどうしたものか
自力ではもうどうしようもない。負けました。無理です。降参です。
無条件降伏
後は神にすがるしかない
そしてそんなあわれなわたしたちを救って下さるために、神はご自分の一人子であるキリストを犠牲にされた
こうですよね
今は僕が仏教に入って、最初に親鸞に救われた話をしようと思っている段階なのですが、勝手にルターと共鳴してしまい、わけがわからなくなってしまいました。キリストを出すのはずっと後の予定だったのですが。
ちなみに、阿弥陀仏は成仏しましたよね。
そして、キリストは復活しましたよね。
つまり、わたしたちは一人残らず救われたんじゃないですか。
だからすべての人は救われるんですよ。
自分の中に悪魔がいても
つまりどんな悪人でも
いや、悪人だからこそ救われるのです。
「善人なおもて成仏す、いわんや悪人をや」
(善人すら成仏できるのだから、悪人ならなおさら成仏できる)
これは親鸞が言った有名な「悪人正機説」ですね。
僕たち全員の心の中に悪魔がいるんだから、そもそも善人なんていないでしょ。
「全員悪人」
なんかたけしの映画みたいだな。
そしてこいつらも
「全員救われる」
それくらい、仏の力って、神の力って、キリストの力って、すごいんですよ。
愛と慈悲の導くままに
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