カシミール問題とガンジーについて
もともと一つだったものが別々に分かれてしまったら、また一つに戻ることはできないものか。
別々に分かれてしまったものが、お互いに争っている姿を見ると、余計にそう思わずにはいられません。
インドとパキスタンの先日の攻撃の応酬のことを言っているんですけどね。インドとパキスタンって(そしてバングラディッシュも)、もともと一つのインドだったんですけど。ムガール帝国時代もそうでしたし、大英帝国の植民地時代もそうでした。そしてガンジーがイギリスから非暴力で独立を勝ち取った時も、まさかインドからパキスタンが分離するなんて想定外だったのです。インドはヒンズー教徒が多いですが、イスラムの影響もうけていてムガール帝国はイスラムですね。そして、ヒンズー教徒とイスラム教徒が混在するようになった。そして、独立のときにイスラムとヒンズーでもめたのです。数の上ではヒンズー教徒の方が多いので、イスラム教徒は主導権を奪われるのが不安だったからでしょうか、ガンジーが必死に止めたにもかかわらず、イスラム教徒の多い地方がパキスタン(そしてバングラデシュ)として分離してしまった。
ガンジーは様々な宗教が一つになることは可能だと本気で考えていた人で、本人はヒンズー教がベースでしょうが様々な宗教の祈りを取り入れていたようです。仏教の題目(南無妙法蓮華経)も祈りの一つとして取り入れていたらしい。
ガンジーは、世界に様々な宗教があるのは、目的地に向かうのに様々な道があるようなものだと考えていたようです。すべての宗教の目的は一つであるが、その道は一つではないと。
もう「愛と慈悲の祈り」そのものですけど。
その目的とはもちろん、私たちが幸福になることですが、そのために必要なのは私たちが一つになること。しかも、多様性を保ったまま一つになること。
そのガンジーの必死の努力にもかかわらず、インドはパキスタンとインドに分かれてしまいました。そして、過激派はイスラムだけではなくヒンズーにもいたようで、ガンジーはヒンズー至上主義者によって暗殺されてしまいます。こう見ると、イスラム側から分離したというだけでなく、ヒンズー側から拒否ったという側面もあるかもしれない。
とにかく、一旦一つだったものが分かれてしまえば、後には争いだけが待ち受けています。その後、インドが核兵器を持てばパキスタンも核兵器を持ち、カシミール地方での対立は核兵器保有国同士の対立となり、一歩間違えば大惨事に。国として二つのアイデンティティが存在すると、その境界線上で対立が起こるのですが、その境界線がきっぱり分かれていることはむしろ少ない。その境界線近くではアイデンティティの区別が曖昧になっていたりする。それがカシミールなのですが、その地方は住民はヒンズー教徒が多いのですが、藩王がイスラムだった。そして、どっちに帰属するかでもめたわけです。そして今でももめている。しかも、一部は中国が実効支配していて、こちらも核保有国。
せっかく歴史的にも一つだったのに、分かれてしまうと平和は遠のいてしまう。なにもイスラムがヒンズーに改宗しろとか、その逆を要求しているわけではない。二つのアイデンティは保ったまま、さらに大きなアイデンティティで一つになることはできないものか。だってインドは前までできていたじゃないか。
世界を見渡すと、一つになる方向と、バラバラになる方向の両方があってもどかしい。ユーゴスラビアは一つだったのに、今はバラバラ。そしてバラバラになってしまえば紛争の火種は尽きない。ヨーロッパはヨーロッパで一つになろうとしている。それは素晴らしいことでEUができて人類にも希望があるなあと思っていたら、イギリスのEU脱退。人類が一つとなって平和が近づくための試金石かと希望を持って見ていたのに、見事にブチ壊してくれました。
ただし、なんでも一つになればいいってもんじゃない。ソ連が解体していろいろな国が分離独立しましたが、これまで民族間で支配ー被支配の関係にあったのなら、それをなくすために分離独立するのはそうあるべきかと。あくまで、お互いのアイデンティティを尊重しあい、対等な関係で、さらに大きなアイデンティティで一つになる。
こうありたいものです。
愛と慈悲の導くままに
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