悪は割に合わない

 自分が幸福になるためには、他人が、そして社会が幸福にならなければならないということになかなかたどり着けないのは、そこにタイムラグがあるからです。他人の幸福が、そして社会の幸福が、自分の幸福につながるまでには少し時間がかかる。それが待てないので、というよりそもそも気付かないので、目先の利益だけを追求してしまう。そして、自分さえよければ、という「俺様ファースト」に飛びついてしまう。そこから犯罪まで、悪に転落するまでは一直線ですね。ちょっとしたきっかけで、ちょっとした誘惑で、犯罪に、悪に、戦争に手を染めることになるでしょう。それは個人に限りません。大企業や国家でもそうです。個人だけでなく企業が、それも暴力団のフロント企業ではなくれっきとした大企業が、そして国家が、詐欺やインチキや、他者を不幸に貶め、ついには命まで奪うような悪行の数々を行ってきたのをこれまでもいやというほど目にしてきました。すべては自己の短期的利益ばかりを追求して、全体の幸福が自己の幸福に必要不可欠であるという認識が欠如していたためです。

そして、そのあとで、必ず破滅がやってきます。神様って見てないようで、ちゃんと見ているなあ、といつも思います。というか、その点に関しては容赦ない。しかもその悪の罰し方が凄い。いったん上に持ち上げるんですね。そして得意の絶頂まで持ち上げてから落とす!いやー、神さまもお人が悪い、と時々思っちゃうんですけど。

悪は割に合いません。

驕る平家は久しからず

千年前の日本のことわざは今も世界で生きています


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