仏典多すぎじゃん!
さて、僕と宗教との「馴れ初め」を話そうと思います。そのうちまたあらぬ方向に脱線するでしょうが、その時はその時。もういいや。
僕は日本生まれなので宗教的土壌としては仏教が一番身近ですね。ということでまずは仏教から入ったわけです。まあ自然な成り行きですね。中高はイエズス会の学校だったんですけど。神父さんとか先生していましたね。「聖書研究会」とか毎週金曜日にあったようですが一度も参加したことがない。今思えば何しにその学校に行っていたのかって感じですね。「後悔先に立たず」です。宝が目の前にあったのに全然見えてなかった。霊の目が開かれないと本当の宝は見えないものです。
受験でいい大学に入るのが賢いのではないですね。目の前に光があるのに見えなてないなら、ただのアホです。恥ずかしい限りです。
ということで、とにかく仏教から入ったわけです。ご縁があったはずのキリスト教ではなく。でも、そもそもなぜ宗教に魂が惹かれたのかというと、それは人によってそれぞれだと思います。僕の場合もちょっと特殊、個人的過ぎて普遍化できない、というか皆様の参考にならないと思うので、ここでは省略しますが、そのうち書きたいですね。
で、仏教ですけど、そもそもどんな教えか分からなければ判断のしようもありませんよね。ということで仏典を読もうと。キリスト教なら聖書、イスラム教ならコーラン、じゃあ仏教なら・・・
「仏典多すぎじゃん!」
ドン引きです。仏典多すぎます。いきなり大ピンチに。早速挫折か・・・とにかく現代語訳が出てるものだけでも読んでみるか。
ということで、読み始めたのですが、どこから入ったっけな。大乗仏典から始めて、原始仏典(阿含経典)に戻ったのか、原始仏典から始めてそのまま大乗仏典に行ったのか、それとも先に親鸞に救われてから仏典に入ったのか、どっちだったっけ?
人に宗教の「馴れ初め」を説明しようとしていたくせに、その肝心の「馴れ初め」を忘れてしまいました。
まあ、今となってはどっちでもいいのです。
「仏は慈悲」
ということを知った今では。
ほとけは必ずわたしたちを救って下さるのですよ。
一人残らず、どんな悪人も、信じない人も全員。
それを知ってしまった今では
「他に何を知る必要がある」
と思うのですが、それを言ったら話が終わってしまうので先に進めます。
ところで、仏典ですけど、仏典って何?
ブッダが説いた教えですよね。では、この多すぎ仏典、全部ブッダが説いたのか。研究によるとそうではないらしい。ブッダが説いたのは原始仏典(阿含経典)と呼ばれるやつで、大乗仏典の成立はブッダの死後。ということは大乗仏典ってニセモノ?
イギリスをはじめ、西洋の研究者の間ではそういう解釈でとらえているようですが、僕はそうは思っていない。
大乗仏典もブッダが説いたのです。
でも、大乗仏典の成立ってブッダの死後だよね。
そうです。
じゃあ、大乗仏典ってブッダが説いたものじゃないよね。
いいえ、ブッダが説いたのです。
はあ?
ってなるかと思いますが、それについては次回考えてみようと思います。
愛と慈悲の導くままに
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