悪を罰するのに神が一旦上に持ち上げる道理

 神は悪を罰するのになぜ一旦上に持ち上げるのか。

そしてなぜ悪は必ず破滅するのか。

当然の道理がそこには存在するので、追ってみようと思います。

まず最初に他者に損害を与えて利益を強奪するのに成功したとしましょう。

味を占めます。

またやりますね。

また上手くいきます。ますます味を占めます。

またやりますね。今度はもっと大きくやります。

上手くいきました。笑いが止まりません。またまた味を占めます。真面目に働いている奴が馬鹿に見えます。もうやめられません。

悪は一旦味を占めるとクセになります。中毒性があるのです。

今度は仲間を募って一層大々的にやります。

また上手くいきます。もう最高です。世の中はみんなアホで自分だけは賢いと思っています。

この頃になると被害者が増えていきます。社会でも問題になってきます。

「今度は自分がやられる。」

警戒感が高まっていきます。

「これを野放しにしておくわけにはいかない。」

いよいよ社会も本腰です。警察も出動です。

悪の仲間たちの間でも仲間割れが起こります。そもそも自分の利益のためには他人を犠牲にする人たちの集まりです。奪った金はあわよくば独り占めしようとお互いに企んでいます。仲間を信頼できるはずがありません。

こうして、利益が最大化するころには外は警察をはじめとする正義の民衆に包囲され、内では仲間割れ。

これで破滅が訪れないはずがありません。

ここで彼らが破滅を回避する唯一の方法は

「そろそろ潮時だな」

といって途中で勝ち逃げする場合ですが、なかなかそれができない。一旦味を占めるとその快感が忘れられずに中毒になっているので、どうしても悪をやめられないのです。そして破滅するまで突き進んでしまう。

これは犯罪者や犯罪組織だけでなく、利益の追求のためなら不正な手段も辞さない企業も含まれます。利益追求のために不正な手段を用いるなら、もうそれは立派な犯罪組織だと思いますが。大企業であっても。

ということで、悪を罰するのに神が一旦かれらを上に持ち上げるのは、こういう道理ではないでしょうか。

それにしても、犯罪組織はなかなかしぶとく存続し続けているじゃないか、と思うかもしれません。それについては次回考えてみようと思います。


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