幸せになる義務

 わたしたちは幸せになる義務があります。

幸せになるのは「権利」ではなく、「義務」なのです。

自分の命はこれまで食べてきた無数の命の犠牲の上に成り立っているのですから、自分だけのものではありません。

無数の命たちに命を託されているのです。

だから、あなたが幸せにならなければ、それらの命が浮かばれません。

しょんぼりしてないで、しっかり前を向いて、希望をもって生きなければなりません。

そして、誰よりも幸せになるのです。

では、どうすれば幸せになれるのか。

これが人生最大の大問題であり、人類の永遠のテーマであり、難題だ!

それをこれから長々と書こう、考えていこうと思ってこのブログを始めたのですが、何だか「食べること」を考えただけで、もう後悔と感謝の念が同時に沸き起こってきて、悲しいけれども幸せな気持ちに満たされる僕って何?

この先続けられるかどうか、よくわかんなくなってきましたが、とにかく行けるところまで行ってみよう。

愛と慈悲の導くままに

神が、仏が、命まで投げ出して、わたしたちを救ってくれるというのは、本当だったんだなあ。まさに、文字通り、本当だったんだなあ。それも毎日、こんな身近なところで。命があるというだけで、それはとてつもない恵みであり、奇跡であり、恩寵だったんだなあ。わたしたちはそれに全く気付かずに、それを当たり前のように思って、愚痴ばっかりこぼしていたんだなあ。ただひたすら、恩知らずだったのです。

まずは感謝から出発しよう。

そしてそれがいきなりゴールになっちゃいそうだけど、もうちょっとやってみます。

愛と慈悲の導くままに


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